想恋歌
第四章 希くはその心に 第三十八話 2014.11.10
少し時間 を遡り、ヒカルが棋聖のタイトルを取った一週間後、その日フラ~ッと秀英が日本にやって来た。前々日に(明後日行く。進藤か塔矢の所に泊まらせて)と短いメールがあっただけで、特に用があった訳では無いらしい。まあヒカルのお祝いの意味と、十段戦を戦っている和谷の激励もあったらしい。 韓国の永夏と秀英は時々メールのやり取りもしてるが、中々会うことは無い。秀英は電話をかけてくる事もあるが永夏からは掛からない。秀英に言わせると、多分意図的に電話はしないのだと言うことらしい。 永夏は永夏で、自分の気持ちにケジメをつけようと必死なのかもしれないなと、アキラ達は思っていた。 そして社も東京にやって来た。こちらはフラ~ッと来た訳ではなく、自身の名人リーグ戦が翌々日にあった為に、一日早めにやって来た。社の東京暮らしは、あまりの家賃の高さに暫く延期することにした。 じゃ、みんなで飲み会しようということで、居酒屋の個室風スペースに落ち着く。隣の席とは一応格子で仕切られてるので、完全な個室ではないのだが、それでもズラリとテーブルが並んだ席に比べれば落ち着ける。 メンバーはヒカル・塔矢・社・秀英・和谷。飲み会と言っても飲めるのは和谷だけで、後はまだ20歳未満。 伊角さんも誘ったのだが、今夜は用があるとかで断られた。 「俺、来月誕生日やからな、飲む!」と社は宣言した。 「社、4月の誕生日だったのか。何日?」 「15日や」 「フ~ン。まあいいんじゃないか」 「伊角さんのNHK杯惜しかったな」 「うん、そうだな。でも感触は悪くなさそうだから、次は頑張ってくれるさ」 「和谷は一勝一敗か」 「ああ、緒方先生は怖いぞ」 「これ、この間塔矢先生と佐為が対局した棋譜」 「エッ! 塔矢先生と藤原さんが対局しよったんか?」 「そう。父が藤原さんに対局を申し込んだ」 どれどれ。棋譜を覗きこむ姿は皆真剣だ。流石に碁打ちの集まりだけはある。誰もが無言で食い入る様に見ている。 「凄いなこれ」 「うん、凄い。凄い以外出てこない」 「これ、どっちが勝ってるんだ。えーと藤原さんの半目勝ちか?」 「そういう事」 「へぇー。先生も藤原さんも凄いや。もしこの二人が現役の囲碁棋士で居たら、俺達勝てないよな」 「う~ん。そうかも」 それからは他愛無いバカ話などしながら食事を楽しみ、大いに飲んだ。和谷と社は少々酩酊状態に入っている。 ふと、進藤が大人しいのに秀英が気がついた。 「進藤どうしたんだ。どっか具合悪いのか?」 その言葉にみんなの視線がヒカルを捉える。 「違う。あのさ、ちょっと訊いてもいいか?」 「なんだよ」 「あの、すご~く綺麗な女の人とかいるだろ?」 「ああ、それがどうしたんだ」 ヒカルの言わんとしてる事がみな理解出来なくて、飲み物を飲んだり食べ物を口に運んだりしながら、続きを待っている。 「そういう女の人を見た時って、みんなアソコ勃つ?」 ブハァァー! と飲み物やら食べ物が、ヒカル目がけて噴き出された。顔と言わずテーブルの上と言わず、惨憺たる有り様になった。 「ウゲェ、あんだよぉーみんな。ひっでぇなぁー」 「ゲホッ! ゲホゲホッ」 一人噴き出すのを堪えたばかりに、気管支に入りむせてしまった元オカッパ王子。 「おい、塔矢大丈夫か」秀英が背中を擦っている。 「アホッタレェ進藤! お前が可怪しな事言うからや」 「何だよ。素朴な疑問を訊いただけだろ」 新しいオシボリを何枚か貰い、顔を拭き拭きむくれる。 「進藤、綺麗な人見ただけで勃ったら、それは変態だ」 和谷の言葉に「へっ、そうなの?」と返す。 「お前は勃つのかよ」 「ううん、勃たない」 「進藤ぉぉぉ……」 ようやくむせ返りが治まった塔矢が、絶対零度の声で睨みつける。 「あっ、塔矢君大丈夫?」 ヒクヒク震えながら、お愛想笑いで何とか誤魔化そうと、無駄な努力をするヒカル。 「塔矢君じゃない! なんだってそんな事訊いてんだ」 「だから、疑問だったからぁ。他の人に訊けないじゃんか。もひとつ訊いてもいい?」 今度は何訊くつもりだ、この天然は。 「キスしたことある?」 一転シーンと水を打ったように静まり返る。 「俺はあるぞ」と社が右手をあげる。 「ホント! やり方教えて、大人のキスを」 「ハァア? どうやってそんなもん教えるんだ。俺とキスするんか?」 「社じゃヤダ!」 じゃ誰ならいいんだ。此処に至り、ようよう進藤の意図が解ってきた。 「俺らに訊かんでも、お前の側に居るやろ。大人で経験豊富な人が」 「訊けないから、お前達に訊いてるんじゃんか」 「塔矢と和谷と秀英はどうなんや?」 「ねえよ」「僕も無い」「僕もないよ。永夏はいっぱいあると思う」 「よし、ほんならアダルトビデオ借りに行こまいか。観た方がてっとり早いやろ。ほらみんなはよせい、行くでぇ」 「えっ、えっ、え」 さっさと伝票を掴んで行ってしまう社を追い駆けるのに、みんなアタフタとしてしまう。 「進藤ビデオ屋は何処だ」 確か市ヶ谷の駅の近くにあるよな。と塔矢に確認すると確かあったはずと返事した。 「ちょっと、僕そんなの借りるの恥ずかしいよ」 「借りるのは塔矢じゃのうて、進藤だ」 「エエ! 俺?」 「当たり前やろ。お前の為に借りるんやから。大体君達、若者なのにアダルトビデオも観たこと無いのかね。実に情けないねぇ。健全な若人は、健全なセックスにより作られるって言うやろ」 社が東京弁で喋ってる。コイツ子供の時は東京にいたから、喋ろうと思えば喋れるんだな。 「そんな話聞いたこと無い」塔矢が首を捻っている。 「ねえ、それ僕も観ないとダメなのか?」 「秀英、お前いくつになってん」 「18歳」 「なら、大丈夫や」 「そういう問題じゃない」 ビデオ屋は結構な数のお客がいた。こんな時間でも来る人いるんだなぁ。 塔矢と秀英とヒカルは、伏し目がちに社の後をついて行く。和谷は案外平気そうだった。 「和谷、お前恥ずかしくないのか?」 「別に。お前ら意識しすぎだって。そんなコソコソしてたら、自分からアダルト借りに来ましたって言ってる様なもんだぞ」 区切られた一角にあるアダルトコーナーにそそくさと入り込む。スゲッと思わず声が出てしまい、慌てて口を押さえる。 「おい社、どれを選んでいいのか分からんぞ」 「ジャンル毎にあるから自分の好きなジャンル選べよ」 「ジャンルって?」 「だから、SMが好きとか、ちゃんとしたストーリーがあって愛しあうのが好きとか、只ヤリマクりとか、乱交とか、その他色々じゃボケぇ」 最初ボソボソ話してたのが、興奮して来たのか声が大きくなり、結局店の中まで丸聞こえ状態。あちこちでクスクスと笑う声が聞こえる。 「バカ、もう少し小さい声で話せ」 塔矢の眉間にしわが寄る。秀英は頭を抱えて蹲ってしまう。 「ああーもう恥ずかしいお前ら」 「もうええ、俺が適当に選ぶわ」 進藤カード持っとるんやろ出せや。と言われ慌てて財布から抜き取る。 「勘定払っとくさかい、後で割り勘にせえよ」 よっしゃ、ほんならはよ行くでぇと、さっさと歩いて行ってしまう社を慌てて追い駆ける。 其処に一台の高級な外車が横付けされて、車内から佐為が現れた。 「イッ! 佐為!」 「ヒカル、こんなところで何してるの? DVDを借りにきたの?」 「こんばんわ」 全員が声を揃えて挨拶する。 「こんばんわ皆さん」 「そうそう、みんなでDVD観ようと思って。これから俺のアパートに返るとこ。なっ!」 DVDねぇ。慌てて身体の後ろに隠した袋を見て、思わず笑いを噛み殺す佐為。 「そう。楽しんで観なさい。送らなくても大丈夫ですね」 「うん、大丈夫だから。佐為おやすみ」 「おやすみなさい」 「藤原さん絶対気がついてるよなぁ」 「ああ、絶対バレてる」 「バレてるのか……」 「別にバレてもいいだろ。悪いことじゃないんだから」 「まあ、そうだけど」 DVDは三本借りたようだ。社が選んだから、どんなの借りたのかは判らなかった。コンビニ寄って菓子とか飲み物買って行く。 「社と秀英は、俺の所に泊まる? それとも塔矢んとこ?」 「僕はどっちでもいいよ」 「俺もどっちゃでもいい」 「わかった」 ヒカルの部屋に上がり込み、キッチンから必要な物を取ってくる。勝手知ったる他人の家だ。 和谷がDVDの袋を開け眺めている。その中の一本が男性同士のDVDだった。 「おい社。こんなの借りたんか」 「其れは進藤用だ。お前一人でじっくりと観ろ」 唖然としてDVDを見ると、男性同士の姿が写っていた。みんなの顔を眺め回し真っ赤になる。 「お前、受けの方をじっくり観とけよ」 「うけ? うけってなんだ?」 「男性同士の女性役になる方だ。つまり入れられる方だな」 「…………」 進藤と秀英の顔が見事に真っ赤っ赤。 「俺がそのうけな訳?」 「どうみたってお前は受けや。お前ふ……じゃなくて、男性の中に突っ込めるんか」 フルフルとヒカルが顔を振っている。 「社、もうちょっと真綿に包 んだ言い方しろよ。聞いてるこっちが恥ずかしい」 こいつ露骨過ぎて、もう勘弁してほしい。 「どう言うても中身は一緒やんけ。あのなカップルだから、巧と受けがある訳や。攻める方と受ける方やな。両方ってのもあるらしいけどな。その時々で攻めてと受けてが交代するカップルや。そやけど大概はどっちかに決まっ取るんが多いらしいで。このメンバーで行くと、進藤と秀英が受けだな」 「なんで僕! 僕だって入れる方が……入れる方が、……やっぱ入れたくないな。でも入れられるのもヤッ!」 ヒカルは下を向いてしまって、顔を上げる事が出来なかった。 それを見た他の4人は、流石にちょっと露骨に言い過ぎたと思い、お互いに目配せし合った。 「あのさ進藤、社がちょっとオーバーに言い過ぎただけだから、気にすることない」 塔矢が進藤の頭を撫でて、いい子いい子している。 「僕もゴメン」 秀英もシュンとしてうなだれる。和谷が秀英をいい子いい子しだした。 「俺って変? みんなも解ってると思うけど、俺、佐為が好きなんだ。考えまいとしても頭から離れない。佐為とずっと一緒に居たいって思ってる。二度と失いたくない。佐為に抱いて欲しいって思う俺は、変なのか?」 「別に変じゃないよ進藤。たまたま好きになった人が同性だったと言うだけだ。僕達と何も変わらない。君と藤原さんは強い絆で結ばれてるだろ。一人の人を深く愛していけることは、素晴らしいことだと思うよ。藤原さんだって、きっとそう思ってると思う。みんな君の味方だから」 顔をあげたヒカルの眦から、涙がすーっと一筋流れ落ちた。 その涙を和谷が拭き取った。其処にはもう幼い無邪気な進藤はいなかった。進藤が成長したように、俺達もみんな成長して、大人の階段を一歩ずつ上っているんだなと思った。 「進藤、男だから女だからとか、男らしくとか考えなくてもいい。自分らしく、あるがままの姿で生きていけ。お前がお前、そのままでいられる人生を歩め」 「和谷……」 ヒカルの目から涙がボロボロと溢れだした。 「バッ、バカ。子供じゃねえんだから泣くな」 「だって和谷があんまり優しいし……急に大人みたいな事を言う……うぅ……」 「俺はお前より大人だ。もう、しょうがねぇ奴だなぁ」ホラ涙拭けと、ティッシュの箱を取りヒカルに渡す。 其々が大人に羽ばたき始めているのだ。 塔矢は昔から直情型で思い込んだら一直線。回りの雑音や迷惑などものともしない奴で、非常に粘着質の性格をしていた。だが、普段は礼儀正しくもの静かな性格だ。バカ騒ぎなどしたことも無いだろう。それが仲間と親しく接するうちに、段々と性格にも丸みを帯び、よく笑う様になった。 和谷も直情型で正義感の強いタイプだ。勘が良く思っことを溜め込まないで全部出す。グループの中ではいい兄貴分的な存在。相手の事を思い遣る気遣いも出来る。進藤には塔矢共々振り回されっぱなしだが。 社は喧嘩早い様に見えるが、かなり冷静に状況を見極めるタイプだ。只、沸点を超えるとガタイが大きく腕力もあるので、喧嘩は派手になる。意外にも年上をきちんと立てる。 秀英はヒカルの2歳下だが、とてもしっかりとしている。ヒカルの天真爛漫で素直なところが、非常に気にいってる。永夏とは全く意味合いが違うが、ヒカルが大好きだ。 「進藤、露骨過ぎて悪かった。このDVDは観ん方がええ。余計な先入観は要らん」 「そうだな。その方が俺もいいと思う」 「そうだ。明日進藤の祖父ちゃん家に行こうや。前に碁を打つ約束してんねん。お前ちょいと電話してくれや」 祖父ちゃんに電話したヒカルは、明日友達と一緒に祖父ちゃんの所に行く。お昼ご飯は寿司でも買っていくから、祖母ちゃんにお味噌汁だけ作ってくれる様に頼んでと伝えた。えっ人数? みんなの顔を見回すと全員が手をあげていた。俺を入れて5人だよ。うんわかった。じゃあね。 それから、借りてきたDVDを1本観たのだが、それはそれはもう大変だった。野郎ばっかりで観るもんじゃねぇなと痛切に思った。終わったら全員が思いっきり脱力して、転がっていた。 「おい塔矢ぁ、風呂場とトイレの換気扇回して来てくれたかぁ」 「回してあるよ」 人の家で出すなんて最低だなと思ってる塔矢だが、自分も出したから同罪の最低だと落ち込んだ。 やっぱり、塔矢先生と藤原さんの対局の検討しようということになり、ヒカルの持っている碁盤で検討が始まった。こうやってみんなでワイワイ言いながら、検討の一手一手を研究してる時が、幸せだなぁと実感する時だ。 遅くなってしまい和谷も泊まると言い出しので、ヒカルの家に秀英と和谷が泊まり、塔矢の家に社が泊まることになった。 どうも社は、塔矢が夜遅く歩いて暴漢にでも合うとヤバイので、自分が護衛がてら一緒に帰ることにしたらしい。 確かに和谷よりは社の風貌を見れば、誰も襲おうとは思わないだろうなと思う。 結局借りてきたDVDは、みんなで観た1本だけで、後は観ないでヒカルは返却した。