想恋歌
第三章 揺蕩う想いに 第二十六話 2014.6.6
対局が終わり其々休憩を取っている時、佐為は仕事先に連絡を入れる為に席を外していた。 「休憩終わったら、和谷君、塔矢君、社君、佐為と太善 と私で対局しましょうか?」 「あっはい、お願いします」 和谷が喜色満面で返事を返す。 「黄 先生、俺は?」 「進藤君は今回我慢しなさい。貴方は佐為と打ってるでしょ?」 「そうだぞ進藤。俺達に譲れ」 プクゥ~っと膨れっ面になるヒカル。それを見た黄はアハハッ! と思わず笑ってしまった。 「進藤君、今度日本に行ったら貴方と必ず打ちますから」 「ホント?! 約束だよ先生」満面の笑みで確認をとる。 「はい、約束します」 ――なんとまぁ~進藤君は可愛いですねぇ。まだ精神的に幼い部分がありますが、対局に入ると豹変しますからね。佐為がやられる訳です。まぁ、それだけじゃ無いんでしょうけど―― その時、一人その場を離れる永夏 を目にした。佐為の居る部屋にむかってる様だ。これはちょっとまずいかも。 電話をしていた佐為は、突然部屋に入って来た永夏に目を瞠る。そしてニヤリと笑んだ。 「また、後で電話します。永夏君何か御用ですか?」 「貴方は一体何者なんだ」 「?……何者とはどういう意味ですか?」 訝しげに首を傾げる。 「初めての北斗杯の時に、通訳のミスで俺が秀策の悪口を言ったと思い、ヒカルは酷く憤ったことがあった。その時もヒカルの様子が尋常じゃない様子を受けた。唯の秀策好きにしては常軌を逸してると。ヒカルの打ち筋は確かに所々秀策に似ているところもある。俺も秀策は好きだし、道策も丈和も勉強してるからよく判る」 こっちの話題ですか。そんなことがあったとは。私が消滅した後の事ですね。 「それで?」 「貴方と打ってみて、ヒカルの棋風が似ているのは判った。でもヒカルは自分の碁を確立し、すべてが貴方の棋風に似ているとは言えなくなった。普通はそうだ。 最初は教えを受けた師匠の棋風にどうしても似る所はある。しかし、自分の考え方や経験がプラスされていくから、何時迄も教えを受けた師匠の打ち筋のままということはありえない。こんな事は俺に言われなくても、貴方ならよく解ってるはずだ。だが、貴方の打ち筋は秀策そのものと言っていいほど似てる。いや、きっと当時の秀策より強い、強くなってる。好きだからと言って、ここまで似ることは普通有りえない。どういうことか説明してくれ」 流石に簡単には引き下がらないってことか。しかしメンドクサイ、この男。 「説明しろと言われても、説明のしようがありません。貴方はどんな答えだったら満足すると言うのです。秀策の魂が甦ったとでも言えば納得するのですか?」 「ハッ! バカな事を言わないでくれ!」 「そう、バカな事なんですよ。ですから答えようが無いのです」 「……? それはどういう」 「永夏君、この話は終わりです。答えようの無いことを問われても、どうする事も出来ません」 「解りました。しかし諦めた訳ではありません」 「どうぞお好きに」 部屋を出ていこうとした佐為に、更に永夏が言い募る。 「まだ話は終わってません」 「何なのですか?」 「貴方はヒカルの事をどう思ってるんです?」 なんだコッチが本題ですか? いや、永夏に取ってはどちらも本題か。するとこれは私にとっての本題か。面白くなって思わず笑みが零れる。 「何が可笑しいのです」 「いえ別に。どうとは、どういう意味ですか?」 「そのままの意味です。ヒカルの事が好きなんだろ」 「フフ勿論ですよ。可愛い弟子ですから」 其の途端、壁に拳を打ち付ける音が響く。リビングでは、その音に全員がハッとする。 「太善、秀英 クガ ウムヂギヌン コッ カッッタミョン セウセヨ」 黄は韓国語で指示を出し、その場を離れる。 「……ネ」 訳が解らないまま返事を返す秀英。 「どうしたんや?」 この場で韓国語が理解出来ないのは、和谷と社そしてヒカル。 「クククッ、怖いですねぇ」 永夏ごときに脅されても、全く動じる事も無い藤原佐為。 「ヒカルを愛してるかと訊いてるんだ」 「だとしたら? どうだと言うのです?」 佐為は面白そうに永夏を眺める。束の間、佐為と永夏の睨み合いが続く。超絶美形同士が無表情で睨み合うと、こんなに怖ろしいのかという雰囲気が、辺り一面を包み込むようだ。 「貴方もヒカルに恋心を抱いてるようですね」 「悪いですか」 「別に悪いとは言ってませんよ。貴方がヒカルを大事にしてくれるなら、私は何も言いません。でも、貴方では無理でしょうね」 「どういう意味です」 「高永夏では、進藤ヒカルは幸せになれないということですよ」 「なんだと!」 永夏の声がリビングにまで響く。その声を聞きつけ、全員が腰を浮かしかける。 「進藤動くな。此処にいろ!」 ヒカルは視線を巡らせ「佐為」と呟く。佐為が居ないのに気づいたヒカルは、部屋に行こうとするが横から社と塔矢ががっちり掴まえる。 「離せ! 離せよ! 塔矢、社、離せ!」 黄が無言で部屋に入って来た。 「ヒカルが貴方を選ぶことなんて、この先ありえません。貴方はヒカルを束縛してしまう。ヒカルはね、自由に大空を駆け回らせないとダメなんです。でないと、あの子の才能も何かも潰してしまう。高永夏ではそれは無理です。ほら、ヒカルが心配して声を張り上げてます。そんな心配させるだけでも貴方は失格なんです」 「!! ……クッ……」 「永夏止めなさい。佐為も。皆が心配しています。永夏戻りなさい」 そのまま無言で踵を返し、部屋から出て行く。出てきた永夏を認めたヒカルは、渾身の力を込め二人を振り払い、永夏に掴みかかって行く。 「進藤!」 和谷の叫ぶ声。 「永夏! 何してるんだよ。佐為に何言ったんだ!」 永夏の胸ぐらを掴み揺さぶる。永夏は無言で顔をそむける。 「答えろよ永夏!」 「ヒカル、止しなさい」 佐為の優しい声が聞こえる。 「でもッ!!」 「ヒカル、落ち着いて。こちらへいらっしゃい」 そう言って手を差しのべている。泣きそうな顔で佐為を見ていたヒカルは、ノロノロと歩みより佐為に抱きついた。 「大丈夫です。何も心配することはありません」 穏やかに微笑んでいる佐為の顔を見上げたヒカルは、そのまま胸に顔を埋めた。佐為の手が背中をポンポンと叩いている。 その抱擁シーンをポカーンと見詰める数多の視線。俊勇 と俊浩 は、流石に目をまん丸に見開いている。 永夏もその光景を見ていたが、その場から立ち去る。 黄が出てきて呆れたように見回す。「こら、見せ物じゃありませんよ」 その声にピッとスイッチが入ったようで、慌てて動き出す若人達。 「お、俺トイレ行ってくる」「あっ、俺もや」「僕ベランダで涼んで来る」 涼むどころか、もう寒いですって。 「僕達、お茶入れ替えて来ます」「ゴミ片付けようっと」 太善だけが残り、黄と顔を見合わせて笑っていた。 ○● ベランダに出た塔矢は、とても後悔していた。 「さ、さッ、さむッ! 僕もトイレにすればよかった。さむッッ!!」 足踏みをしながら体をこするが、一向に温まらない。そうしてるうちに、本当にトイレに行きたくなったので諦めて室内に戻る。 「おや、塔矢君寒かったでしょ?」 「はい、冷え過ぎました。失礼します」 そう言いながらバタバタ走って行ってしまった。またひとしきり黄と太善が、笑い合った。 そこに、佐為とヒカルが部屋からリビングに戻ってくる。 「あれ、みんなは? 永夏はどうしたの?」 「ああ、皆は其々何かしてますよ。もうすぐお茶が来ますから座りなさい。永夏は飛び出して行ったきりです」 「えっ! じゃ捜しに行かなきゃ」 「いいんですよ進藤君。少し放っておきなさい。そのうち帰ってきます」 「俺の……せい?」 「ヒカルのせいではありません。気にしなくて大丈夫です」 「お茶入りました」 俊勇と俊浩はまめまめしく動く。何かしてないと間が持たない。他のメンバーも、其々頃合いを計ったようで戻ってきた。 「お茶頂きます。ア~温まるぅ」 塔矢が何だか年寄りのようにみえる。 「黄先生、対局が終わったら僕の家にみんなで行くんですけど、永夏が戻って来なかったらどうしましょう」 「僕と俊浩が待ってましょうか?」俊勇が提案するが 「いえ、それはダメです。私が残りますからみんなは移動しなさい。佐為と太善も先に帰って下さい」 「では太善さん。黄にお願いして、私達は対局が終わったら失礼しましょうか」 「そうですね。黄お願いします」 「佐為、いつまで韓国に居るの? 天元戦始まるまでには帰ってくる?」 「私は、まだ3・4日はおりますけど、始まるまでには帰りますから」 「うん、わかった」 「では、そろそろ対局始めましょう。組み合わせジャンケンにします? 一番に勝った人が佐為で2番目は太善で、3番目は私にしましょう」 和谷・塔矢・社は俄然気合が入る。「ジャンケンポン・ポン・ポン・ポン」 よっしゃあ! 俺が一番や。塔矢が二番、和谷が三番。 組み合わせは、佐為×社・黄×和谷・太善×塔矢になった。 そして、互先で対局が始まった。だが、まだまだ日本メンバーは実力的に足りない部分が多い。いい勝負に持っていけるのは、太善×塔矢戦ぐらい。 ――社君は初めて対局しましたが、なかなか面白い手を打ってきますね。かなり強気な面も有るようですし、勘も良さそうです。大局を観るのに優れてるようですよ。この子は状況次第ではかなり伸びるかもしれません。―― 一方社は初めて打つ佐為に翻弄されていた。これがsaiなんや、すっげぇぞー。打つ手打つ手、軽やかにかわされていくでぇ。こんな打ち手今まで会ったこともない。なんやワクワクしてまうなぁ。みんなが騒ぐはずやでぇ。―― そして、二時間後対局も終了し佐為と太善は帰途に着いた。下まで見送りに行こうと思っていたが、安先生が必要無い玄関でいいと、やんわり断られた。 それから、永夏の部屋を全員で掃除をし、其々荷物を持って秀英の家に向かった。俊勇と俊浩も自分の家に帰宅し、永夏の家には黄だけ残った。 永夏はみんなが家をあとにしてから、更に一時間後に帰って来た。 ○● 部屋に入り綺麗に片付いた室内を眺め回し、黄先生だけ残っているのを確認し黙って座る。 「三時間も何処に行ってたのです」 「あちこちと……すみません黄先生」 「そんな薄着で外を歩きまわってまったく。冷えたでしょ、とにかく此処に座ってなさい。お茶いれてきてあげますから」 あっ、俺が……と言いかけたら、いいから座ってなさいと言われた。 黄がお茶を持って来て永夏に差し出す。「熱いですよ」 「ありがとうございます。いただきます」 お茶の温かさが、体の中に沁みわたる様だ。ホォーと深い息を吐く。 永夏の様子を眺めていた黄が問い掛けた。「何時から進藤君の事が好きなんです?」 俯き口元を結んでいる永夏だったが、観念したのか「分かりません。最初はヒカルの打つ碁に魅了されました。気がついたら、ヒカル自身の事が気になりだして」 「佐為のことは何時気がついたのです」 「今日です。ヒカルと藤原さんの様子で何となく解りました。以前ヒカルが”心に想う人がいる。自分のこの感情がどういった種類かは判らないけど” って言ってたことがありました」 「本気なのですか永夏」 「………………」 答える事が出来ないのか、答えたくないのか。 「先生は藤原さんの気持はご存知だったのですか?」 「知ってますよ。本人から直接聴きましたから。私も楊もかなりビックリして戸惑いました。佐為に諦める事は出来ないのかとも言ってみました。しかし佐為の気持は固かったです。 誰よりも何よりも進藤君が一番だという気持が、ヒシヒシと伝わってきました。進藤君がプロとしてスタートしてまで、と言ったでしょ? その頃には進藤君への気持を認識したのだと思います。だから一旦離れた。 多分佐為も自分で戸惑い混乱したんだと思います。別に同性愛者って訳では無かったようですから、受け入れ難かったのかもしれませんね」 「じゃ何故今は?」 「おそらく、あの交通事故がキッカケになったんじゃないかと思われます」 「交通事故……ああ、そう言えばそんなことが」 「藤原佐為という人物の、為人 を知っていますか?」 「いえ、詳しくは」 「知っての通り、彼は藤原コンツェルンに属してる人物です。藤原の人間は仕事に対してとても厳しいし、何事も徹底してると評判です。其の中でも彼は末っ子ながら、一族の中でも類まれなる才能を持ち、一番のやり手と噂です。 佐為の容貌にみんな騙されてしまいますが、佐為は自分に敵対する者に対しては、容赦がありません。嫋やかで優しい面も合わせて持ちえます。進藤君にはこちらの顔しか見せないでしょうね。いずれは彼が藤原グループのトップに納まるとも言われてます。 会長であるお祖父様が、殊の外彼を可愛がってますので、会長の落とし胤では無いかという噂も飛び交ってます。父親やお兄さん達も整った容姿を持っていますが、彼は並外れた容姿を持っているでしょ? 若いころの会長によく似てるらしいので、それが噂の出所かもしれません。 藤原一族は誰も肯定してませんし、気にも留めてないようですけど。 佐為はプロになることも出来たんです。でもその選択肢を選ばなかった。そんな彼が進藤君の為だけに、棋院のバックスポンサーに納まった。多分後援会にも就くと思います。これがどういう意味を持っているか、解りますか永夏」 「ヒカルの為だけに? ……。藤原を捨てた?」 「そうです。捨てたという言い方は語弊があるかもしれませんし、実際に捨てはしないでしょう。 只彼の中では藤原より自分より、進藤君が一番大事なんでしょうよ。藤原に居るのは、すべて進藤君を守る為だけなのです。さっき佐為が言ったでしょ。貴方は進藤君を束縛してしまうと。それを聞いてどう思いましたか?」 「あの時はカッとなりましたが、外に出て落ち着いたら、そうかもしれないなと。俺はヒカルを独占したいって思ってました」 「佐為は自分の気持を、決して進藤君に押しつける事はしません。彼が成長し自分の気持に気づく時を、只じっと待っている。とても大事だから、大切な存在だから、だから待つのです。愛してるだけでは無い、何かそれ以上のものが有るように私には見えます。 永夏、目を覚ましなさい。貴方にはやるべき事があるのじゃないですか? 韓国囲碁界にとって、高永夏は必要な人間なんです。 自分の気持だけ進藤君に押し付けてしまえば、彼は逃げるだけです。最悪囲碁界からも逃げてしまうかもしれません。そんな事態は招きたくないでしょ」 「それはっ! ……はい」 「大丈夫。貴方なら乗り越えられます。一時 は苦しいかもしれませんが、その苦しみも貴方を大きくしてくれるはず。私はそう思ってます」 「先生……」 顔を上げた永夏の眼は、先程より強さを増した様に見える。すぐには思い切る事は出来ないでしょうけど、彼なら乗り越えてゆくでしょう。何しろ高永夏ですからね。このぐらいの事でへこたれる人間じゃ無いです。 「永夏、私はこれで帰ります。それとも一緒に夕食でも食べますか?」 「いえ、今夜は遠慮しておきます。ゆっくり考えます。先生ありがとうございました」 深々と頭を垂れる永夏を観て、肩をポンポンと叩き「三星杯 期待してますよ」 そのまま静かにその場を立ち去る。