想恋歌
第三章 揺蕩う想いに 第二十五話 2014.5.31
エレベーターで永夏の家に向かいながら、安太善 が不思議そうに問い掛ける。 「しかし凄い量の荷物ですね。何ですそれ?」 「佐為がホテルで作って貰ったお菓子ですよ。進藤君を喜ばさせたい一心なんですから、まったく」 「進藤君を? 藤原さんは進藤君とご昵懇なんですか?」 「えっ、あの……」 「佐為、どうせバレますよ。全員プロの碁打ちなんですから。今日打つつもりなんでしょ」 「そう……ですね」 「太善、後で思う存分質問しなさい。佐為が答えるかどうかは分かりませんけど」 「黄 ったら」 永夏の家に到着し呼び鈴を鳴らすと、永夏と秀英 が出迎えに来た。 「黄先生、安先生、お忙しい中ありがとうございます」 「こんにちわ永夏、秀英。今日は一人お客を連れて来ましたよ」 お客? 永夏の怪訝そうな声がする。 「こんにちわ。高永夏君、洪秀英君、お久しぶりです。今日はお邪魔させて頂きます」 藤原佐為を認めた二人は唖然としたが、慌てて挨拶を返す。 「ようこそ、いらっしゃいませ。どうぞお上がり下さい」 部屋に入ると全員が立ってお迎えをしていた。 「和谷君、塔矢君、進藤君、社君、韓国にようこそ。楽しんでいますか?」 「はい、ありがとうございます。黄先生、安先生、お久しぶりです。今日はおいで頂けて嬉しいです」 何時もならこういった挨拶は塔矢がするのだが、和谷が一番年長と言うことで自分が買ってでた。知ってる言葉で丁寧に挨拶を心がける。 「知ってる方もいると思いますが、紹介しておきます。彼は藤原コンツェルンの藤原佐為です。日本棋院のバックスポンサーになりましたから、これから何かと皆さんも関わりが出てくると思います」 「藤原佐為です。どうぞ宜しくお願いします」 宜しくお願いしますと、全員で頭を下げる。勿論ヒカルも。 そのヒカルは目線を合わせられないまま、ずっと下を向いていた。やっぱ佐為来た。どうするんだろう? 今日打つつもりなのかなぁ。打ったら絶対バレちゃうけどいいのかな? でも、俺が心配しなくても、その辺の事は佐為ならちゃんと考えてるよな。チラッと佐為を見たら、佐為は悪戯そうな笑みを浮かべヒカルを見ていた。思わず口元が綻んでしまい、笑みが洩れる。 そんな二人を安太善と高永夏が見つめていた。 「永夏君、お土産のお菓子です。皆さんに出してあげてください」 「ありがとうございます」 受け取ると、僕がするよと秀英が受け取る。俊勇 と俊浩 も手伝いについていく。 「秀英兄さん、藤原さんの事よく知ってるんですか?」 俊勇が不思議そうに尋ねる。俊浩もお茶の準備をしながら聞き耳を立てる。 「うーん、よくって程じゃないけど、多少知ってるかな?」 「なんで今日いらしたんでしょう?」 「その辺りは僕もよく判らないな」 「そうですか」 お茶の支度が出来たので、リビングに運ぶ。 「皆さん、お待たせ致しました。お菓子美味しそうですよ」 餡の入った花の形をしたパイ、中華風揚げチーズケーキ、カップ入りの杏仁豆腐。 「ほんと、美味しそうですね。折角ですから皆さん頂きましょう」そう言っても此処は韓国。 日本人には分からないが、年上の人が手を付けるまで永夏達が食べることは無い。秀英達が黄先生・安先生、藤原さんの分をお皿に取り分け渡す。 日本であれば年上の人が「美味しいから食べてごらんなさい」とか言えば年下であろうと「はい、頂きます」と、普通は食べるものである。 佐為はその辺の事情はよく知っているし、和谷は留学に来てた時に秀英に教えて貰っている。多分塔矢はそういう躾が行き届いてるから心配ない。問題は進藤と社だ。この二人は遠慮ということを知らない、食べる事に関しては。 和谷はちょうどヒカルと社の間に座っていたため、二人に耳打ちする。 「先生たちが手を付けるまでは、先に食べちゃダメだぞ」 「へっ、なんで?」 「韓国ではそういう礼儀なんだ」 ヒソヒソと話し合ってるので、可笑しげな雰囲気が漂う。 「和谷君達、お召し上がりなさい。そんなに遠慮しなくても大丈夫です」 黄先生が苦笑いを浮かべながら言うので、永夏を伺い見ると”うん” と頷いたので喜色を浮かべ「いただきま~す」 声を揃え皿に手が伸びる。 ウマッ! 美味い。塔矢これ美味い。それは何? 杏仁豆腐だよ、これもとても美味しい。社それは何? 何やろうか名前は分からへんな。チーズが入っとるでぇ。ちょ、うめぇー 「そんなに慌てて食べなくても、沢山あります。落ち着いて食べなさいヒカル」 「うん」 思わず元気よく返事したが、少しして皆の視線が佐為とヒカルに集まっている。しまった、私としたことが何時もの癖で、名前を呼んでしまいました。 「黄、この後打つんでしょ。どういう組み合わせにします」 とって付けたように話題を転じる。 「佐為は誰か対局したい相手がおりますか」 エッ! という声がそこかしこから聞こえる。 「出来れば太善さんか、永夏君と打ってみたいです」 「あの、藤原さんはどのぐらいの棋力があるんですか?」 安太善が最もな疑問をぶつける。そうりゃそうだろう。プロの碁打ちが集まってる所へ来て、アマが打ちたいと言えば、棋力はどのぐらいなのか気になって当然の疑問だ。 「私より強いですよ」 黄が憮然と答える。エエッ! ゲッ! ウッソー! と、色んな叫びが聞こえ、マジで? と言ったのは社。無言だったのは当然ヒカルと塔矢と永夏。 「打ってみれば判ります」 「では、私から打ちます。永夏いいですか?」 「はい、どうぞ」 黄先生より強いと聞けば、自分が真っ先に打ちたいが、此処は我慢するより仕方ない。 対局が始まり30分も絶った頃、太善は背中にいやーな汗をかいていた。この人は一体何故これ程の棋力を身につけているのだ。数年前にネットに現れた"sai”の棋風に酷似していないだろうか? 直接"sai” と打ったことはない。しかし、当時はとても話題になっていたので、何枚か棋譜はみたことがある。塔矢先生との対局は自分でも並べてみた。 そのsaiの棋風は本因坊秀策に酷似しているのだ。そして太善が考えていると同じことを、見学している殆どの人が思っていた。 一度対局経験があり、いち早くsai の存在に気づいた和谷しかり、四回対局経験があり(自身は一回と認識)自分の父親と対局したことのある塔矢しかり。 そして血が滴り落ちそうなほど、唇を噛み締めている高永夏がいる。 ヒカルの棋風にとてもよく似通っている。いや、この場合はヒカルの棋風がこの人に似ていると言うべきだろう。 師匠なのかヒカルの……? 一時間経ち安太善が中押し負けを宣言する。 「ありがとうございました。いい対局でした。やはり貴方は強い」 佐為が賞賛を込めて言葉を贈る。 「いいえ、貴方に全く勝てる気がしなかった。敗北です。質問します。いいですか?」 「答えられることならば」 全員が固唾をのみ静観している。 「貴方はネットの”sai”ですか?」 「それは違うとお答えしておきます」 「ネットのsaiの棋風は、本因坊秀策に酷似していると言われてます。貴方の打ち筋も秀策にそっくりです。この疑問にはお答え頂けますか?」ヒカルはハラハラしながら佐為を見ていた。佐為はヒカルに視線を向けたが、すぐに太善に視線を戻し 「ネットのsaiの棋風が秀策に似ていたとしても、私には何とも答えられません。私の打ち筋が似てると思われるならそうなんでしょう。私は秀策が大好きでしたから。似ても当然かもしれません」 「進藤君の棋風とも、とてもよく似ています。進藤君の師匠ですか?」 此処にいる全員が、確かめたい事柄の一つでもある。 ヒカルは佐為の顔をじっと見詰めている。少し儚げに心配そうに……。その佐為はヒカルに視線を移すと「大丈夫ですよ」 頷いてみせる。 「私のプライベートな事柄にも関わる事なので、本来は秘匿としておきたいのです。ですが此処にいる方々は、ヒカルを大切にして下さる方ばかりだと私は認識しています。ですからこれからお話することは、此処だけのお話として他言しないと約束してくださいましょうか?」 「はい約束します。他言はしません」 『こらぁ塔矢、勝手に返事すんなや!』 社は思ったが、口を出す雰囲気では無いので無言で頷く。勿論和谷も”はい” と頷く。 「韓国プロ棋士の皆さんも宜しいですか?」 太善、永夏、秀英、俊勇も俊浩も「解りました」 了解の返事を寄越す。 「ヒカルが12歳の頃から2年半ほど、私が一から教えました。プロ試験に合格して、プロとしてスタートを切った矢先までです。ですから、師匠かと問われれば、そうだと言えます」 其々から溜め息が洩れる。やっぱり進藤の師匠だったのか。塔矢と和谷は別の事を考えていた。プロとしてスタートを切った矢先まで。ということは進藤のあの不戦敗は……結局藤原さんが原因だった訳か。 「他言するなと言うならしません。が、何故師匠であることを隠す必要があるのですか?」 永夏! とヒカルが叫んでいる。 「ヒカル落ち着きなさい。永夏君、それは先程も言いました。公に出来ない理由は私のプライベートに関わる事です」 「しかし!」 「永夏、それ以上は止めなさい」黄がピシャリと言い渡す。 「ッ! ……解りました」 「少し休憩にしましょうか。佐為疲れてないなら、永夏も対局してくれますか?」 「勿論私は構いません。永夏君がおイヤでなければね」挑戦的な笑みを浮かべる。 カッと顔が熱くなる。挑発されたのだ。「僕も喜んでお相手させて頂きます」 韓国囲碁界随一と謳われるそのCoolな美貌に、不敵な笑みを浮かべる。 「そうですか。楽しみです」 ニンマリとして踵を返す。 もう~この二人は……勘弁してほしいと痛切に思う。 「佐為、あまり永夏を揶揄わないでください」 「揶揄ってなどいませんよ黄。それにこのぐらいの事でへこむ御仁でもありますまいに」 「それはそうですけど」 「忘れてました。ホテルから昼食が届きます。もうそろそろ来ると思いますけど」 「じゃ、永夏か秀英に伝言して来ます」 10分後ホテルから昼食が届けられた。 「永夏、私と太善と佐為は別室で取りますから、そちらへ運んで下さい」 「はい解りました」 俺達も手伝うよと、日本メンバーも手伝う。 別々の部屋で食事を取りながら秀英が声を掛ける。「進藤訊いてもいい?」 「なに?」 「藤原さんは進藤の師匠ということを公にしたくなかったんだろ? どうして僕達に話したんだ」 おい秀英。社の咎める声が聞こえたが 「社、いい。多分俺がせがんだからだと思う。俺は佐為が師匠であることを皆に知って貰いたかった。だけど佐為は余りいい顔しなかった。今でも何故公にするのがイヤなのか、佐為は話してくれないから俺には解らない」 「ふーん。そうなのか」 そう返事をした秀英だが、何となく思い当たる節もある。塔矢と和谷を見たら、同じように思案しているように思えた。 一方別室で食事中の佐為、黄、太善。 「佐為、手加減して下さいよ」 明後日の方向へ視線を飛ばしながら「……気が向いたら……ですね」 「佐為!」 「藤原さんが日本棋院のバックスポンサーになったのは、進藤君の為ですか?」 佐為はうっすらと笑みを浮かべ「まあ、そうです」と肯定した。 太善は佐為の顔を、何やらもの問いたげに眺め、黄はそんな太善と佐為をチラチラと見ながら『私は知りませんから』 一人傍観者を決め込む。 そして食後、佐為と永夏の対局が始まった。 ――佐為は永夏の顔を面白そうに眺めていた。フフ、高永夏が私にキバを剥いている顔も、中々見ものですねぇ。 徹底的に潰して差し上げます。ヒカルを抱いた罪は軽くはありませんよ。―― 今年の5月に行われた、ヒカルの最後の出場となった北斗杯。 ホテルの中庭で、永夏がヒカルを抱きしめていた所を、佐為は二階から見ていた。 そのヒカルと永夏の二人を、隠れて見ている塔矢、社、秀英の三人がいるのも確認していた。 何しろ自分が管理するホテルなのだ。何処へでも出入り出来る。 ――フム、愚形でも構わず強引に打ち込んで来ますね。シノギによほど自信があるとみえる。 ならば一本キリを入れておきましょうか。下辺が厚くなるから面白い。それから右辺に回ってもいい。二間・三間ビラキ。 さて、どう来ますか高永夏。―― その永夏はかなりの苦戦を強いられていた。この自分がこれ程まで追い詰められるとは、信じられなかった。成る程、黄先生でも負ける事があるのも頷ける『クソッ! こうなったら中央を切断する』 ――永夏が意図しない所へ打ち込んできた。逆をつかれた……。高永夏、右辺を捨てて来ましたか。―― 北叟笑んでいる。 正にその表現がピッタリ来るような佐為の顔。 こういう表情を浮かべる佐為は、必ず何かを企んでいる。それを正しく見抜けるのはヒカルと黄のみ。 佐為ったら、まさか本気で永夏を潰すつもりじゃないでしょうね。やめて下さい。 永夏は韓国囲碁界にとって至宝なんですから。韓国の重鎮、
徐彰元 の後を継げるのは、私でも太善でもなく、彼だと思っている。 しかし何故佐為は、永夏に対してこれ程の敵対心持ってるんですか? そう、これはまさに敵対心……まさか……永夏も? そう考えれば佐為の心情もよく判る。どうしてだかは分からないが、永夏も進藤君に好意を抱いているのを察知しているのだ。愛する者の勘ってやつですか? 見学をしている棋士達は、圧倒的な佐為の力碁に唖然としていた。ネットのsaiの時は、こういった力碁はあまり無かった。ネットでは強い者がさほど居ないせいかもしれないが。これは永夏が相手だからなのか。 本人は否定してるが、彼がネットのsaiで有ることは誰も疑ってはいなかった。 そしてヒカルはというと、やはり唖然としていた。 ――何だってこんな強引な打ちまわししてるんだろうか? いつもの佐為らしくない。何だかまるで永夏を叩き潰そうとしてるみたいな……まさかな―― その時黄がヒカルの後ろに回り、耳打ちをした。 「進藤君、ちょっとこちらへ」 密かに話す黄に頷き、そっと列を離れる。 「先生、何ですか?」 「佐為の打ちまわし、どう思います?」 「えっと……、何か強引でいつもの佐為らしくない。あれじゃ叩き潰してるようにみえてしまう」 「正に、叩き潰すつもりなんですよ佐為は」 「エエッ! 何でそんな」 「進藤君、止められるのは貴方だけです。佐為を止めてください」 「で、でもどうやって?」 「簡単です。佐為の視線に入る所に立って、腕でも組んで睨みつければいいです。そうすれば佐為には通じるはずですから」 そんなんで通じるんかな? 心許無かったが他に良い案も思い浮かばなかったので、とりあえず場所を移動して佐為の正面、永夏の斜め後ろに立った。 そして黄に言われだ通り腕を組み、ちょっと睨む表情をしてじっと見詰めていた。 暫くして永夏に視線向けた佐為は、その斜め後に立つヒカルに気づき目を瞠った。 ――イヤだ、ヒカルったら………………。ああ~もう解りましたよ。多分黄に入れ知恵されたんですね――。 一旦俯いた佐為だが、顔をあげてヒカルに微笑み返す。パァ~~っとヒカルの顔が明るくなる。 ――そんな可愛い顔しないでくださいな。勝てませんね私。……ヒカルには――