想恋歌
第三章 揺蕩う想いに 第二十三話 2014.5.8
囲碁祭りが終わって明くる日、午前中はオフで午後から雑誌の取材を2件こなしたヒカルは、そのまま佐為のマンションに向かった。今夜は佐為の家にお泊りする。筒井さんの事教えたら、佐為ビックリするだろうなぁー。 囲碁祭りではお互い仕事だったのでゆっくり話が出来なかった。今度、加賀とか三谷とか金子のこととか訊けたらいいな。 「もしもし佐為、俺今からマンションに向かうよ」 「解りました。少し遅くなると思います。夕食我慢出来ますか?」 「うん多分大丈夫。何時ぐらいになる?」 「7時頃になると思います。マンションの下に着いたら電話入れます。我慢出来なかったら何か軽くつまんでなさいね」 「はぁーい。じゃね」 電話を切った佐為は、仕事中なのも忘れて思わず笑み崩れてしまった。いけない・いけないと、慌てて顔を引き締める。 ――――いつもいっしょ ‥‥‥‥‥‥‥いつまでいっしょ? 自分が霊体だった時に呟いた言葉が、脳裏に甦る。 確かヒカルのプロ試験中、和谷戦の前にヒカルの部屋で打っていた時に思った言葉だった。違う、あの時ヒカルが言った言葉を受けて思ったのだ。「いつもいっしょに打ってるからわかるんだよ」 何故、今になって急に思い出すのだろう…… いけない、こんな事考えていては。早く仕事を終わらせよう。 ヒカルは朝の食材やおやつなど、スーパーで買い込んでから佐為のマンションに向かった。明日の朝食は俺が作ろうっと。何にしようかな? 佐為って好き嫌い無かったよな確か。和食も作れる様になりたいな。今度母さんに教えて貰おーっと。 マンションのロビーに入ると、女性が一人どこかの部屋のインターフォンを押していた。ヒカルはその後姿を眺めていた。 えらくケバケバしい人だなぁ、物凄く人目を引く服装をしていた。姿はスラリと均整がとれている。 「居ないのかしら……」 ブツブツ言いながら諦めたように後を振り向いたら、ヒカルがいたので吃驚したようだった。 「あら、ごめんなさい。待っていらっしゃるのに気がつかなかったわ」 「いえ、大丈夫です」 女性はサングラス掛けていて顔立ちは解らなかった。背丈はヒールの高さから見て160cmぐらいかと思えた。 「もういいですか?」 「あ、どうぞ」 その女性はヒカルをジロジロと見ていた。何だか品定めされてる様だ。ヒカルは佐為の部屋のナンバーと、暗証番号を押して鍵を開ける。扉が開いたので歩き出したら突然呼び止められた。 ○● 「ちょっと待って。今1801の部屋番号押さなかった?」 詰問口調だ。ヒカルも不審げに眉を寄せて答える。 「それが何か?」 「貴方、佐為さんの家の鍵を持ってるの? どういう関係の方なの。貴方は誰なの?」 ヒカルは益々不機嫌になってきた。何なんだこの女、何でこんな言い方されなきゃいけないんだ。 「人の名前を尋ねるんだったら、ご自分が先に名乗るべきじゃないですか」 相手が誰か解らない以上、ヒカルも口調だけは慇懃にしている。もし、佐為が昵懇にしてる女性だと困ると一応思ったから。でも感触では違うように感じた。 「あらイヤだ。貴方まさか私を知らないの?」 ものすごーく馬鹿にした言い方だ。自分の事を知らない人間が居るとは思っていないような口調だ。さすがのヒカルもこれにはカチンときた。 「ぜんっぜん、知りません!」 「まぁ~なんてこと、女優の南条ほのか。知ってるでしょ」 そう言いながらサングラスを取る。塔矢程では無いけれど、ヒカルも芸能界のことには疎い。余り興味もないので、全く知らなかった。 「やっぱり知りません。もういいですか。俺行きますので」 踵を返し歩きかけたら腕を取られる。 「ちょっと待って。貴方見たことあるわね。テレビに出たことある? 芸能界の人間じゃーないわよね。名前名乗ったんだから、貴方の名前も教えて頂戴」 教えるまでテコでも動かないわよという風情で、目つきがギンギンとしている。ヒカルはメンドクサクなってきて「進藤ヒカルです! 離してください」 腕を振り払う。 「シンドウヒカル……聞いたことあるわね。佐為さんとどういう関係なの?」 「あんたには関係ないだろ」 ヒカルの口調もゾンザイなものに変わってきた。どう見てもこんな女、佐為と関係あるとは思えなかった。 しかし次に女性が発した言葉に唖然となる。 「あら関係あるわよ。私は佐為さんの恋人なんですから」 「……こいびとぉ~?」 佐為の恋人? 「ウッソだぁ~。あり得ねぇーゼッテェ~」 「どうしてよ」 「佐為が選ぶタイプじゃないし、佐為に似合わない」 キッパリはっきりと断言する。 「し、失礼ね。あなたね……」 憤懣やるかたないほど憤ってる。 「失礼なのは、南条さんのほうですよ」 その声にパッと振り向くと佐為が立っていた。「佐為!」 ヒカルは思わず叫び、佐為の背中に回り顔だけを出す。まだ、こういう行動を取るヒカルは、佐為に依存してると言わざるを得ない。こんな時なのに佐為はふとその事を思った。 「ヒカル、先に部屋に行ってなさい。私もすぐに行きますから」 「でも……」 般若のような顔をした女をチラッと見る。 「大丈夫ですから」 「分かった。待ってるから」 ヒカルがエレベータに乗って行くと、佐為は徐ろに女優・南条ほのかに問い掛ける。 「私と貴方は何時から恋人同士になったのでしょうか? 貴方とお付き合いしていた覚えはありませんけど」 「あらぁー、そんな肩苦しく考えなくたっていいじゃないのぉ。これからお付き合いすれば問題無いでしょ?」 「私は貴方とお付き合いするつもりは無いと、申し上げたと思います」 「付き合って見れば、見方も変わるかもしれないじゃないの。それよりあの青年はどういう関係なの?」 「それは私のプライベートです。貴方に教える必要性の無いことですね。南条さん、どうぞお引取りください。それと、ヒカルには今後関わらないでくださいね。では失礼致します」 慇懃無礼に会釈し、扉の中に消えて行く。女優・南条ほのかは、それこそ般若のような怖ろしい顔をして睨んでいたが、やがて踵を返しマンションから出て行った。 ○● ヒカルの依存は、自分の存在が大きく影響してるのは否めない。もし私が、前のときの様に突然居なくなる事態が生じたとしたら、あの子は耐えていけるだろうか? 乗り越えて行くことが出来るだろうか? 「……40年ですか……」 5~6分程して佐為が帰ってきた。 「佐為、大丈夫だった? あの女の人は?」 「ええ、大丈夫ですよ。彼女には帰ってもらいましたから。ヒカルにイヤな思いさせてしまいましたね」 「ううん俺は平気だけど、何かあの女怖かった」 リビングに向かいながら、ヒカル何か飲みますか? と佐為が訊いている。 「俺、コーラ買ってきたからそれ飲む」 佐為は自分のコーヒーを入れて、リビングのソファーに座った。 「マンションの前まできたら、二人がロビーに見えたので吃驚してしまって」 「あの人女優って言ってたよ。えっとぉー南条ほのか? だっけ。私の事知ってて当然でしょ、みたいな口ぶりだったぞ。でも俺全然知らなぁい。ねぇ佐為の恋人って言ったけどそうなの?」 「違いますよ! お付き合いしたこともありません。交際を申し込まれた事はありますけど、私は断りしました。でも、中々しつこい性格の様で諦めてくれないのですよ」 「へぇー、困るじゃんかそれは」 「本当に困ります。性格に難のある方のようですし、男関係も派手なんですよね。これですんなり諦めてくれると嬉しいのですが、どうもそういかないかもしれないです」 「佐為、モッテモテだな。でもあの女は、佐為の好みとは真っ向反対だよな。それに全然似合わないし」 「あのような女性にモテたくありません。ヒカル、どうしてあの女性と話してたんです?」 「ああうん、マンション入ったらあの人が先に、何処かのインターフォンを鳴らしてたんだ。だから終わるのを、その後で待ってたんだよ。居ないわねぇ~とか言ってたから、俺いいですかって変わって貰ったんだ。そしたら、押した部屋番号見てたみたいで、とっ捕まったの。佐為の家の鍵どうして持ってるんだ、どういう関係なんだ、あんたは誰なんだって、それはそれは怖かった。どうやって知り合ったの?」 「ええと、確か何処かのパーティーだったと思いますよ。色々なパーティーに招待されますからね。その中には各界の著名人や、人気のある人なんかも呼ぶ所もありますし」 「ふ~ん。じゃあの女優さん人気あるの?」 「あるんじゃないでしょうか。私も余り詳しくはないですけど」 珍しくハァ~と溜め息をつく佐為。 「そうでした。仁科さんを駐車場に待たせてあったんです。ヒカル食事に行きましょうか」 「うん、行く。何食べに行くの?」 「麻布十番に美味しい中華料理のお店があるんです。ヒカル行った事ありますか? 中国飯店 富麗華(チュウゴクハンテンフレイカ) という所です」 「無いと思う。美味しいの?」 「はい、美味しいと評判のお店です」 「よっしゃあ~、じゃ早く行こう。仁科さんが待ちくたびれてるかも」 先程の女優との出来事などは、遥か彼方宇宙の果てにまで記憶を飛ばし、ヒカルは大好きな佐為と大好きな中華料理を堪能していた。今夜も当然しっかりと打ち込みをする予定だ。 佐為もヒカルも忙しい身ゆえ、なるべく佐為との予定は優先させたい。そしてそれは、佐為とても同じだった。 二人の時間はとてもとても大切なものなのだ。 北海道函館で行われた、三十期名人戦・挑戦手合第三局は、塔矢が勝ち星をもぎ取った。これで成績は二勝一敗となった。あと二勝すればタイトル奪取となる。 ○● 季節は10月に入り秋の気配がヒタヒタと近づいてくる。ヒカルは佐為と出会ってから、自分の棋力を底上げする事に力を注いでいた。森下先生の勉強会や他の研究会なども積極的に参加している。その合間に棋戦もこなし、順調に勝ち星を増やしていた。 2003年度に大手合(昇段の為の対局)が廃止され、その分の余力を他に回せるようになった。 棋院のイベントや雑誌の取材など、休む間もなく動きづめだったが元気一杯だった。佐為と二人で棋譜研究や検討を重ねたりしていた。 久し振りに塔矢とも碁会所で打った。お互い段位も上り棋戦や仕事が増えて来て、前の様に頻繁に碁会所で打つことは減ってきた。が、これはこれで大切な時間だ。 少しだけ大人になったので、激しく言い合いに発展することは流石に減った。減っただけで全く無くなってはいないけど。 その合間には、美味しいレストランや高級料亭にも食事に連れて行ってもらったりと。佐為が連れて行ってくれる所は、目の玉が飛び出るぐらいの値段がしたが、味も申し分の無いところばかりだ。食べ盛りのヒカルにとっては、いいこと尽くめである。 そして棋聖戦のリーグ戦、塔矢と越智の戦いは下馬評通り塔矢に軍配が上がった。これにより、11月の挑戦権を賭けた対局は、進藤VS塔矢となった。 東京に居る期間が長い時は、週1回ぐらいは佐為のマンションに泊まっている。 韓国に行く日を翌々日に控えたある日、食事中に不意に佐為がヒカルに問い掛けた。 「ヒカル、もし一緒に暮らしたいと言ったら、ヒカルはどうします? 一緒に暮らせますか?」 「ヘッ?! 佐為と?」 「勿論そうですよ」 「うん、一緒に暮らせるなら暮らしたいよ。どうせ家は出て一人暮らしてるんだし。だけど、佐為が困るんじゃないのか? そのうち結婚とかするだろ、お年頃なんだし」 佐為はちょっと返答に詰まっているようだったが「結婚する気はありません」キッパリと言った。 「えぇッ、そういう訳にはいかないだろ。佐為は藤原コンツェルンの御曹司なんだから、周りが黙ってないんじゃないの」 「黙らせます」 「……佐為……どうしたの?」 「いいえ、何でもありませんよ。今すぐって訳じゃありませんから、この話は又にしましょう」 いつもの様にニッコリ微笑みを浮かべる。 ヒカルは歯切れ悪く返事をしたが、囲碁祭り行く前から佐為の様子がどうにも可怪しいと思えて仕方なかった。 「それよりヒカル、実家には顔を出しているのですか? お母様にちゃんと連絡してます?」 「や、あんまし……。つい忙しいと忘れちゃってさぁ」 「忙しくても電話ぐらいしてあげなければ。1・2分もあれば済むでしょ。お母様だって喜ばれますよ」 「うん、わかった」 そう言えば韓国行くことも言って無かったや。後で電話しようか。 10月20日・木曜日、ヒカル・塔矢・和谷は成田国際空港から、韓国の仁川国際空港に向け飛び立った。 社は、関西国際空港からほぼ同時刻に出発した。