想恋歌
第三章 揺蕩う想いに 第二十二話 2014.4.30
9月の下旬になり、ようやく最高気温も25度を下回るようになってきた。これからは日に日に、気温グラフも下降の一途を辿り、山々を秋色 深まる彩りに染めていく。 車窓から箱根の山々を眺めながら、紅葉の季節に来たら綺麗だろうなぁと思っていた。ヒカルは常々佐為は春のサクラより、秋のモミジの雰囲気だなと思っていた。ハラハラ舞い散るサクラの下に佇んでいても似合うけれど、何故かモミジの方がしっくり来るような気がしていた。 どうしてと理由を問われても、これこれこうだからと、説明は出来ないのだけれど。今度一緒に紅葉狩りって言うのに行くのもいいなぁ~と考えていたら、どうも顔がニヤけていたらしい。 「進藤、何ニヤニヤしてるの?」 「エッ、俺?」 「そうだよ。ずっとニヤけてるよ」 「観察してたのかよ。暇な奴だな」 「悪かったな」 「もうちょっと時期が遅かったら、紅葉が綺麗だろうなぁ~と思ってたのさ」 「ああ~成る程ね。確かに綺麗だろうね」 ヒカルと塔矢は囲碁祭り参加の為に、箱根に向かうバスの中に居る。勿論参加者のお客さん達と一緒だ。バスに乗り込んだ時は、それは大変だった。参加者の若い女性からは、キャーキャー言われパニック状態だ。写真を一緒に撮ってくれだの、サインしてくれだの握手してくれだの、大騒動だった。 ガイドさんが「出発しますから皆さん席に座って下さぁ~い!」 声を嗄らして叫ぶが、若い女性のパワーは、そんなものはどこ吹く風のようらしい。 オッサン達からは「先生方、モテモテですなぁ」と誂われ、白川さんと女流の石川さんからは「大変ですねぇ」と同情され、始まる前から疲れが倍増しそうだった。 ”逃走中”から初めて顔を合わせた二人。参加者とは別の集合場所に行くと、満面の笑みの進藤がいた。ニコニコ~・ニコニコ~のニッコニコだ。笑っている顔文字が張り付いてる様だ。いつも僕より遅いくせに、こういう時は早いんだな。 「塔矢君、おはよう。今日もいい天気だねぇ。仕事頑張ろうね」 君付けで来た。一瞬回れ右をして帰ろうかと思ったが、真っ先に謝るのが得策と判断し頭を下げた。「進藤ゴメン!」 「後で説明して貰うからな」 「わかった」という訳で今にいたる。新宿から箱根までは、バスで約2時間半ぐらいかかるらしい。 バスの中では女性ファンが次から次へと、お菓子を持って来てくれる。白川さんと石川さんもついでの様におすそ分けされている。ヒカルはホクホクで受け取り、次から次へと食べていた。 「お前食べないの? 食べないなら頂戴」 殆ど手付かずの塔矢に催促する。 「どうぞ。僕お菓子は余り食べないから。よくまぁ、そんなに食べれるね。太っても知らないよ」 「大丈夫だって。若いんだから、全部消費するさ」 「公開対局って誰がするんだろう? 塔矢知ってるか?」 「いや知らない。多分一人は芹澤先生で決まりだと思うけど」 「そっかぁ~。俺対局したいなぁ」 イベントの対局なので、成績に関係する訳ではないが、ヒカルは一局でも多く打ちたかった。 「芹澤先生なら、研究会に行った時に打ってるじゃないか」 初めての北斗杯の後に、芹澤先生が塔矢と俺を研究会に誘ってくれて時々顔を出している。 昨日佐為に連絡を入れてみた。ヒカルは心配で「何かあったの?」と尋ねたが佐為は「大丈夫ですよ。ちょっと疲れが溜まってただけですから。心配かけてごめんなさい。もう気にしないでくださいね」 そう言われれば、分かったとしか答えようが無かった。でも、やっぱり変だったよな。これ以上訊いても、佐為は絶対喋らないのは解ってるので、ヒカルもしつこくは訊かなかった。 バスに揺られ揺られ2時間半、やっと目的の観光ホテルに到着。途中休憩はあったものの、バスに乗ってるのは中々疲れるものだ。ヒカルが塔矢にそう言うと「何、年寄りくさいこと言ってるんだ」呆れた風情だ。 その後ろから「塔矢君、年寄りには堪えるんだよ」そんな声が聞こえギョッとして振り向くと、腰を伸ばしている白川さんが居た。 「いえ、あの白川先生はまだお若いじゃないですか。イヤだなぁ先生、さぁ参りましょう、参りましょう」 ロビーは参加者でごった返している。 「僕達は何処に行けばいいのやら……」 困惑しながら突っ立っている4名様。 その時「進藤君、久し振り。元気だった?」 振り向くと書類を手に持った男性がにこやかに立っていた。見れば日本棋院の胸章が付いている。全員がヒカルに視線を向けるが、当の本人はポカンとした顔をしている。 「久し振りだから、忘れちゃったかな?」 「うっそー?! 筒井さん! 筒井さんじゃんかぁ。わー凄い久し振りだね。元気だった?」 「進藤、誰?」 「ホラ塔矢、中学の囲碁大会の時に、葉瀬中の副将だった筒井さんだよ」 「……ゴメン、覚えてない」 「何だよ、冷たい奴だな。筒井さん何してるの? 囲碁祭りに参加するの?」 「参加は参加だけど、僕、今棋院のアルバイトしてるんだ。今度4年生だから就職の内定を日本棋院から貰ったんだよ。だからお仕事。おっといけない、先生方お待たせしてすみません。あちらでスケジュールなどの資料お渡ししますので、ご案内します」 歩きながらもヒカルは一人で盛り上がり、「じゃ、大学卒業したら日本棋院に就職するのか。白川先生、葉瀬中の囲碁部は筒井さんが一人で始めたんです。其処に俺が入ってあかりがくっついて来て三谷が来てって、始まったんですよ」 「そうだったんですか。あかりちゃん懐かしいですね。では、筒井さんも相当打てるんですね」 「いえ、僕は才能なくてソコソコなんですよ。僕よりも弱かった進藤君に、あっという間に追い越されましたからね。いけない、進藤君なんて呼んじゃ、進藤先生」 「やめてくれよ筒井さん、先生なんて呼ばないでくれよ。進藤君でいいよ」 「仕事中はそういう訳にはいかないでしょ進藤君。筒井さんも困りますよ。プライベートは好きに呼んで貰えばいいじゃないですか」 「う~ん、解りました」白川先生にそう言われては仕方ない。 (僕よりも弱かった進藤……) 筒井さんは今確かにそう言った。いくら筒井さんが強かったとしても、アマチュアのレベルだと思われる。その筒井さんより弱いとは、どういうことだろう? 僕と2回対局した進藤、小学生なのに中学の囲碁大会に出た時の進藤。その三局ともアマのレベルじゃない。考えれば考える程謎が深まる。 「こちらがスケジュール表になります。解らないところがございましたら、何でもお聞き下さい。こちらがルームキィーになります。塔矢先生と進藤先生は同室にさせて頂きました」 えっとなになに、今夜は宴会で2階の(紅玉の間) で6時からか。明日は指導碁と参加者同士の対局と。明後日が公開対局で芹澤先生と塔矢の対局だ。チェッ、塔矢か。白川先生が解説で俺が聞き手か。 「それじゃ、みんな部屋に行って一息入れましょう。芹澤先生が見えるのは、もう少し後でしょうから」 「はい、そうですね。進藤行くぞ」 「あいよ~」 宿泊する部屋は予想より案外広かった。 「オオ~、何時もより部屋広いじゃんか。なぁ塔矢」 「ホントだね。ゆったり出来ていいね。進藤お茶飲むだろ?」 「飲む。で、じっくり話聞かせて貰おうかな」塔矢の動きが一瞬止まる。『チッ、覚えてたか』 いつもの様にサラリと忘れてくれるのを期待していたが、甘かったか。 「それでぇ、なんでお前達あそこに居たの?」 「ホラ、天元の対局終わって僕達飲みに行ったんだよ。君も誘ったろ?」 「お前と和谷で飲みに行ったの?」 「ううん、他に門脇さんと伊角さんと、芦原さんに冴木さんの六人だよ。紀尾井町にさ、安くて美味しいダイニングバーがあるって言うから、其処に行ったの。今度一緒に行こうよ」 「うん行く。じゃなくてそれで?」 「で、飲み終わってから、僕と和谷君は君の家に向かったんだよ。そしたら藤原さんが、歩道に立って君のアパートをじっと見上げてる所に遭遇。僕達最初は、藤原さんが君の部屋に行くのかと思ってたんだけど、見上げてるまま全然動かなかったんだ。だから君に電話したんだよ。余計なお節介だったかもしれないけど……」 「ふーん、そうなのか……」 そうそう、そうなんだよ。信じてるかな? 「藤原さんどうかしたの? 何か話したんだろ?」 「解かんねぇ。訊いても何でも無いとしか言わないし」 やっぱ、何かあったとしか思えないけど、一体どうしたんだろう……「そうなの? ねぇ僕から質問してもいい?」 「なんだよ」 「君と藤原さんて、やっぱり前からの知り合いだったの? あっ、それはいいや、知り合いってのは解ってる。去年ホテルの前で会った時、君のこと知らないって言っただろ。あれはどうして?」 進藤は暫~く無言で考えこんでいた。 「俺もはっきりとは解らないんだけど、佐為はそうした方がいいと思ったんだと。理由は言わなかったから判らん」 「じゃ、今はどうして復活したの。指導碁に呼んだのそれが目的だろ?」 「指導碁はそう。だから碁は打ってないぞ。多分変わったのは事故のせいじゃないか。おい塔矢、この話誰にもするなよ」 「うん、わかってる。和谷だけは話してもいいだろ。彼も心配してるし」 まあ、見られてるし和谷だけならいいか。「和谷だけだぞ」 「何時知り合ったの?」 「……12歳」 「知り合ったキッカケは何?」 「 それは、プライベートにつきノーコメント」 「藤原さんが師匠?」 「 プライベートにつきノーコメント」 「藤原さんはネットのsai?」 「プラ、じゃなくてNo~」 「まぁ、答えなくてもいいけど、大体の察しはついてるから。でも進藤、僕には話すって言ったよ。忘れてないよね」 「だ~か~ら~、いつかだよ、いつか話すかもだよ。か・も。話さないかもしれないし」 「なっ、な、なっ、ふざけるなァ~!」 ガバッと立ち上がり仁王立ちだ。久々に出た、塔矢のふざけるな攻撃、炸裂だぁ。 「あの時とは事情が変わったんだよ。座れ。それよかお前達何で逃げたんだ」 「ウッ……、いやぁ、後から考えたら逃げる必要性は、全然なかったんだけどね。追い駆けられると逃げたくなる心理ってあるだろ? 体が勝手に反応しちゃったんだよ。そっ、理由は至って単純」 「へぇー。お前ってここ最近性格変わって来たよな。前より丸くなったし、俺が居なくてもみんなと付き合える様になったじゃんか。いい傾向じゃないの。俺のお陰だよな」 君のお陰じゃなくて、君の所為なんだよ。ああ~いけない、どうもこの頃僻みっぽくなったかな? 確かに、前よりは他の棋士とも打ち解けて付き合える様になってきた。育った環境もあってか、一線引かれてるような付き合い方しかされて来なかった。してみると、やはり進藤のお陰なのか。 「あのさぁ、全部見てた?」 進藤がチラッと僕を見て、恥ずかしそうに目を伏せた。そんな恥ずかしそうにするなよ。こっちが恥ずかしくなるじゃないか。 「あ~~~っと、見た」 「あっ、そ……。なあなあ、宴会前に温泉入ってこようぜ」 「うんいいけど、今着いたばっかりで多分参加者の人達で一杯だと思うよ。もうちょっと、後から行こうよ」 「それもそっか」 「あのさ進藤、もし、もしもだけど、お父さんが藤原さんと対局したいって言ったら、可能か?」 「塔矢先生が? ……それは俺が決めることじゃない。佐為と先生がOKならいいんじゃないか。俺はそうとしか答えられない」 「そうか。わかった」 その後ふたりで温泉に入り、そのまま宴会に直行。芹澤先生も到着されて、にこやかに挨拶を交わす。 未成年ですからって断っても、まあまあいいじゃないですかとか言われて飲まされるわ、私達の先生なんだから、おじさん達はあっち行ってよと女性ファンに言われて、酒の勢いも手伝ってオッサン達と女性ファンの間で取り合いが始まる。 それを宥めるのに一苦労したりと、散々な目にあった。 そして意外や意外、白川先生は酔っぱらいの扱いが非常に上手い。巧みに持ち上げて場を和ませる術が玄人だ。 芹澤先生と塔矢は感心しきりで、ふたりで感嘆していた。その頃にヒカルはどうしていたかというと酔っ払ってしまい、白川先生と塔矢に部屋まで運ばれ寝かしつけられた。ヒカルはアルコールに余り強く無い質なのである。 そして明くる日、芹澤先生以外は指導碁に明け暮れた。指導碁の先生が誰になるかは抽選で決まるので、好きな先生でという訳にはいかないらしい。 で、指導碁の順番が回ってこない人たちは、参加者同士で対局をする。芹澤先生が会場内を廻りながら、参加者達にアドバイスをする。 二日目の昼食も夕食も参加者とは別々なので、リラックスして休息出来るのでありがたかった。 最終日、芹澤先生と塔矢の対局が行われた。持ち時間各一時間の対局になる。イベントの対局なので余り長考はしない。延々と長考すると見学者達が飽きてしまう事を憂慮するからだ。囲碁好きには杞憂なことなのだが、そうでない参加者もいる為だ。 白川先生の解説は非常に上手く、ボイントを分かりやすく取り上げていくので、見学者達にも評判が良い。そしてヒカルはというと、白川先生以上に笑いを取るのが上手い! 棋士としてそれは必要なの? と言われ無いでもないが、客商売の観点からみれば必要なのである。 「あっ、塔矢バッカでぇ~。此処を押さえるんじゃなくてこっちを先に押さえた方がいいのに。ねぇ白川先生」 「まぁ、それもありですけどね……あの進藤君……」 白川が発言しようとした声を遮り、塔矢が突然マイクを持ち発言する。 「進藤、五月蝿いぞ!」 「あぁ~ッ!」 「あの、塔矢先生に進藤先生、お二人の仲がいいのは分かってるんですが、公の場では段位を付けるとかして、呼んでくださいね」 棋院の関係者の発言に、会場中が爆笑に包まれる。 二人共小さくなって、すいませ~んと小声で謝っている。芹澤先生も白川先生も笑いを堪えるのに必死だ。参加者のオジサン達からは、若いっていいねぇ~なんて声も聞こえてくる。 ピリピリとした対局の中にも笑いを交えながら、参加者達に囲碁の楽しさを伝えていくのも棋士の姿の一つだ。まあこれはイベントだから出来る事で、TV放送となるとあまりこういう事は出来ない。 そして、対局は芹澤棋聖の二目半勝ちとなった。 この後は昼食を取って終了となる。参加者達をホテルの玄関で見送り、芹澤先生を見送ってやっと人心地付ける。 ヒカルは筒井さんを捜し、自分の携帯のナンバーとメアドをメモ用紙に書いて渡す。 「筒井さん、後で俺のメアドに携帯番号を書いて送信しておいて」 「わかったよ進藤君。送っておくよ。三日間お疲れさま」 「筒井さんこそお疲れじゃないの。運営する側って大変なんだろ?」 「慣れてしまえばどうって事ないよ。それに好きな事仕事にしてるからね。進藤君とは意味合いが違うけど」 「そっか。でもおれ嬉しいよ。知った人が棋院に居てくれるのって、何か安心する」 其処に塔矢がやって来て、ヒカルと同じようにメモを渡す。 「僕の携帯とメアドです。後で筒井さんの番号をメアドで送ってください」 筒井もヒカルもポカンとした顔をして塔矢を見ている。 ヒカルは半眼になって「何でお前が筒井さんの番号必要なんだよ」 「僕が筒井さんと懇意にしたら駄目なのか?」 「別にダメとかじゃないけど……」 二人のやり取りを、まだポカンとして見ていた筒井は慌てて間に入る。 「あ、あ、僕嬉しいです。ありがとう塔矢先生。後で送信しておきます。三日間お疲れ様でした」 丁寧に礼をする筒井。それを見て塔矢もにっこり会釈。 「筒井さんもお疲れ様でした。ほら、進藤行くぞ」 「あ、ああ~。じゃ筒井さん又ね」 ヒカルは塔矢を追いかけながら、やっぱアソコは俺が言ったところを押さえた方が良かっただろ、と言いながら連れ立って歩いて行く。 そして、囲碁祭りから三日後、塔矢の第30期名人戦・挑戦手合3局目が北海道函館で行われた。