想恋歌
第二章 燦めく才能 第二十話 2014.4.13
お昼ご飯を済ませてヒカルの家に向かう。ヒカルは運転手の仁科さんも一緒に食事をしようと言ったのだが、仁科さんは決して首を縦に振らなかった。 「大丈夫だよ。佐為一緒でもいいよね?」 「ええ、構いませんよ」 佐為もそんな事には拘らない性格なので、大丈夫ですよと言うのだが、それでも仁科さんは固辞した。 「私は別の所で食事休憩を取ります。佐為様終わられましたら携帯にお電話をくださいませ。それではごゆっくりどうぞ」 「仁科さん一緒に食事するのイヤなのかな?」 「イヤという訳では無いと思いますよ。彼は彼なりに仕事とプライベートの一線を引いてるのだと思います」 「そか。仕事するって色々大変なんだな。仁科さんは佐為のことオーナーとは呼ばないんだね」 「ああ、彼と秘書の斉藤さんは、私が小さい頃から一緒なんです。昔は佐為坊ちゃまって呼んでましたっけ。今では二人共結婚してますから、別の家で暮らしてますが、独身の時は本家で一緒に生活してましたからね」 「ハニャ? 住み込みってこと?」 「そうです」 へぇー、今時住み込みなんてあるんだぁ~。俺が庶民だから縁の無いことなのかもな。 食事も終えヒカルの家に到着した。 「一時間程で迎えに来てください」 仁科さんに伝え車を降りる。 「三階のあの角部屋がそうだよ。行こっ」 佐為は頷き、嬉しそうにヒカルに付いて行く。三階に着き、佐為はヒカルの住む部屋の回りを見回っている。隣の部屋とくっついていないのはいいですねぇと、独り言を呟きながら玄関に足を踏み入れる。 「佐為、上がって」 「はい、お邪魔しますね」 「何飲む? コーヒーがいい? それともオレンジジュースにする?」 貴方ご飯にする? お風呂にする? みたいなノリだ。苦笑いしながら「コーヒーを下さい。ちょっと部屋を見させてくださいね」と応える。 「わかったぁ。済んだらリビングに座ってて」 ヒカルはそう言ってるが、佐為は次々と色々なドアを開け部屋中を見て回ってる。 『おや、洗面所もバスルーム広いですね。一坪ずつはありそうですよ。こっちは物入れですか、沢山あっていいです。こっちは洋室です。予備の部屋ですかね。おや、ここの寝室は結構広いです。八畳ぐらいはありそうですね。間に廊下が入ってるのはいいですね。角部屋だから採光もゆきとどいてますし。バルコニーもありますよ』 一人でブツブツ言いながら嬉しそうに回っている。 ヒカルは買ってもらったジューサーで自分の分を作りながら、「佐為ったら、何バタバタしてるんだろ。そんなに小さいアパートが珍しいのかな?」こちらもブツブツ独り言を言いながら、「ジュース美味そうだなぁ」嬉しそうだ。アパートに帰る前にスーパーに寄って貰い、食材を仕入れて来たのだ。 「さーい、何してるのぉ。コーヒー入ったよぉ」 佐為を捜しながらバルコニーを覗くと、フェンスに手をつき風景を眺めていた。 「もう佐為ったらぁ、コーヒー入ったよ」 「ごめんなさい。景色がいいからつい眺めてました」 「そうだろ? 右側に行けば西の方も見えるから、夕焼けも綺麗だぜ。ほら中に行こ?」 「そうですね」 「リビングも広いですね。10畳ぐらいありますか?」 「そじゃね?」 「中々いい所じゃないですか。隣の家とくっついて無いのは珍しいですね。家賃結構するでしょ?」 「うん、えっと15万だった、かな?」 ソファーに座りヒカルに棋戦の状況を尋ねる。 「えっと、明日が天元戦の最終予選の対局で、これに勝てば挑戦手合に出られるだろ。名人戦は次の2回戦準決勝に勝てばリーグ入りだろ。棋聖戦は11月に、塔矢か越智とやって勝てば挑戦手合。で、本因坊のリーグ戦はぁ来月からでぇ、そう言えば伊角さんリーグ入りしたんだ。だから七段になったんだ。十段戦と碁聖戦と王座戦は負けました。NHK杯は11月に2回戦があるよな確か。和谷って確か十段戦勝ち上がってたぞ。こんな感じかな?」 「ヒカルにしてはよく覚えてますね。竜星戦は?」 「あっ! 今回は負けました」 「そうですか」 「そう言えば、俺達来月韓国に行ってくるよ」 前々から永夏に韓国に来ないかと言われていた約束が、やっと実行されることになった。メンバーはヒカルに塔矢と和谷に社。塔矢は名人戦の挑戦手合中ということで、今回は諦めようと言っていたが、スケジュールが上手くやり繰り出来て、一緒に行くことになった。 「俺達とは誰ですか?」 「塔矢と和谷と社に俺の4人」 「へぇー、そうですか」 返事をした佐為だったが、実は知っていたのである。永夏がヒカル達が来るなら折角だからと、黄泰雄 と安太善 にも声を掛け、もしお時間あるなら是非お越し頂きたいと、お願いしたのである。 安太善は、2005年度2月に《LG杯世界棋王戦》に優勝していた。日本ルールで行われる韓国、日本、中国、台湾、米国、欧州の棋士による国際棋戦である。 当然、黄から佐為に連絡が入り、佐為も仕事にかこつけて韓国行きを組み込んでいた。 「ヒカル達は何処に泊まるんですか?」 「1日目は永夏の家で、2日目は秀英の家に泊まる」 「成る程」 佐為がニヤッとしたのを、ヒカルは見逃さなかった。こういう表情をする時の佐為は、ゼッテェー良からぬことを企んでる時だ。幽霊からの付き合いは伊達に長くない。 「佐為、何か企んでるだろ」 「えっ! イヤですねヒカルったら。おかしな言い方しないでください。何も企んでなどいませんよ。アハハ~」 ジト目でヒカルに見られ、佐為はあぶない・あぶないと、目線をあらぬ方に飛ばしている。冷や汗ものだった。 目が泳いでるぞ佐為。自分が碁を打てる機会があるのに、知らん顔するなんてあり得ない。それに来月としか言ってないのに、何日だとか確かめてこないし。これは、韓国に来るつもりだなと踏んでいた。まぁ来ても別にいいけどなぁ。 転生した佐為と会った時は、幽霊の時より凄く大人な性格だと思ってたけど、やっぱ幽霊の時の性格もしっかり残ってらぁ。ヒカルは何となく安心した。 「それよりヒカル、明日の最終対局。和谷君が相手だからって、気を抜いてはいけませんよ。よく知った相手こそ落とし穴があるんですからね」 「わかってるって。全力でちゃんと打つよ」 「終わったら連絡いれてくださいね」 「オゥ、ラジャー」 「では、私はそろそろ行きます。頑張るんですよ」 そう言ってフワリとヒカルを抱きしめる。ヒカルは満面の笑みで「うん、頑張る」佐為の胸に顔をスリスリ。 後で思い返し、何か恋人同士みたいじゃなかったか? と思うヒカル。まっいいか、深く考えなくっても。俺と佐為の仲だしな。で、自分を納得させる。 明くる日、決戦の場は日本棋院。近いからこういう時は楽チンだぜ。30分前に棋院に入った。 一階のロビーには、塔矢と伊角さん、門脇さんが居た。 「おっ、進藤君が来たぞ。おはよう。調子はどうだ?」 門脇さんが声をかけてくる。 「あっはい、おはようございます。調子は上々です」 「オー、言うじゃないかぁ。頑張れよ」 「ありがとうございます」 「進藤、奈瀬が合同予選通って本戦に進んだぞ」 伊角さんが教えてくれる。 「ホントに? やった!」 「奈瀬から伝言。進藤も和谷も頑張れ。そのうち私が追いつくからね。だって」 「そっか、わかった。皆対局見に来たの?」 「勿論だよ。しっかり見学するからな」 何で塔矢ピリピリしてるんだ。まだ根に持ってんのか? コイツはほっておこう。 「じゃ、また後でな」 ちょうど和谷がロビーに入って来た。 「和谷おはよう」 「おはよう進藤」 ふたりの視線が絡み合う。ヒカルはそのまま踵を返し、エレベーターに乗って行った。 「おお! 早くも盤外戦勃発~」 「門脇さん、面白がってるだろ」 「何を言ってる。俺は二人共真面目に応援してるぞ。なぁ伊角君」 「そうですね、多分。和谷全力を尽くせよ。お前達の戦い楽しみにしてる」 伊角くーん、多分ってなにぃ? という門脇さんの声は無視。 「うん、ありがとう。じゃ俺も行くわ」 天元戦本戦最終対局。持ち時間各三時間。先番六目半コミ出し。秒読み、残り五分前より。 今日は五階の「行雲の間」で行われる。 五分前に其々着席し、開始を待つ緊張の一瞬。此処は「幽玄の間」の様にテレビモニターが無いので、見学の棋士は入れ替わり立ち替りやってくる。 ヒカルも和谷も心落ち着けて正座している。緊張するのも、勝ちたいのもお互い様。 「時間になりました。始めてください」 係員の声に和谷がにぎり、ヒカルは石を一つ置く。黒石が6個。 先番、和谷義高 VS 後番、進藤ヒカル。双方「お願いします」挨拶を交わし緊張の対局が始まった。 和谷が第一手を置く。和谷はどうしても勝って挑戦権が欲しかった。伊角さんも越智もリーグ入りをした。進藤は棋聖戦のリーグ入りもしてるし、王座戦の挑戦手合に出たこともある。自分一人だけが皆から置いて行かれてしまってる。 そんな焦りの気持があったのか判らない。それが対局に影響したのか、自分でも把握できなかったが、対局は終始ヒカルが優位だった。和谷が仕掛けるもヒカルは上手く捌いていた。 対局を見ていた棋士の間でも、そのことが話題になっていた。見学の棋士達はなるべく邪魔にならないように、出入りの回数は減らす。その代わり別室で石を並べながら検討していく。今はネットや携帯に即座に対局の経過が通知されるので、側で見ていなくてもさして困らない。別室は、更に人数が増えていた。 「進藤落ち着いてますね。左上で大斜仕掛けて来ましたよ」 「そうだなぁ。和谷はちょっと厳しい状態が続いてるな」 「何か今までの進藤より、一段上がったような打ち廻しですね」 佐為は元々が囲碁指南役であった。ゆえに指導者としての力量は天才的とも言える程優れていた。相手の打ち筋・考察力・弱点・力量を見極め、より力を引き出し一歩前進させる事が出来る。相手からすれば、自分はもっともっと打ってみたくなる、上へ上へと昇りたくなる。そう思わせる事の出来る指導者だ。 その相手が愛おしいヒカルともなれば、その存在力は更に増す。2日間の間に佐為と打ったお陰で、ヒカルは自分でも気づかぬ程に、レベルが上がっていたらしい。 「saiか……」 塔矢の発言に伊角が気づく。 「ネットのsaiの事か?」 「ええ、そうです。進藤の師匠がsaiだとするなら、進藤の格段の上達も頷けるかな? と」 「この間言ってた、saiが藤原佐為さんだと確証取れたのか? だけど、進藤の事を知らないと言ったんじゃなかったか」 「そうだったんですけどねぇ」 口を濁した塔矢だったのだが、横合いから芦原さんが割って入る。 「そうそう、僕達料亭でばったり会ったんだよ。あのふたりが一緒に食事に来てました」 アチャー! 芦原さんたら……やっぱり喋ったぁ。 「エェッ! 本当かよ芦原君。絵になりすぎる二人だな」 門脇さん、突っ込むのは其処じゃないです。 「本当ですよ。緒方さんがね、進藤とどういう関係だって訊いたんですよ」 「うんうん、それで?」 門脇さんたら、身を乗り出し眼を爛々と輝やかせている。 「そしたら、あの藤原さんが言ったんですよ。いずれお分かりになる日も来ますでしょ? って」 「ほぉ~~~。で?」 「で、緒方さんがあんたはネットのsaiかってまた訊くんですよ」 「ほ~ほ~流石緒方さん。訊きにくい事を平然と訊くなぁ」 「でしょ? 僕心臓が止まるかと思いましたよ。でもそれからが凄かったんですよ。緒方さんに負けず劣らず、藤原さんも平然として、にっこりと『いいえ』って一言答えて行ってしまいましたよ。その時の凄みのある笑みが、とてつもなく綺麗で、イヤ~凄くいいものを見ました」 塔矢は最早脱力してしまい、畳に突っ伏していた。 「じゃ、ネットのsaiって事は否定したのか?!」 うーん、そうか、否定したのか。 「おい塔矢君」 塔矢を見ると畳に突っ伏している。「何やってるんだ?」 「いえ、なんでもありません」 アキラメモードで起き上がる。 「進藤も否定して、藤原さんも否定したら、確かめようが無いな」 「そうなんですよ。推測することは出来るんですけどね。もし本当だとしても、あの二人は絶対話さないと、決めてるみたいな感じですね」 「塔矢、それは藤原さんがネットのsaiであると、前提に立った話だよな」 「まぁそうですけど……」 そんなことを話していたら、対局は打ち掛けの時間になった。 「進藤形勢良しだな。和谷大分苦しいなこれは。さて俺達も食事に行くか」 午後からの対局が始まっても、ヒカルは優勢だった。和谷が一時盛り返すときもあるのだが、ヒカルは冷静に対処していた。 『駄目だな。これ以上打っても形勢は変わらない。断点だらけでどうしようも無い……』 和谷が投了を宣言し頭を下げる。「ありません」 その言葉にヒカルも姿勢を正し「ありがとうございました」と頭を下げる。 「ありがとうございました。進藤おめでとう。挑戦手合頑張れよ」 「うん、ありがとう和谷」 他の棋士も交え検討が始まり、その後ヒカルは取材を受け、終了した時は6時を回っていた。佐為に早く連絡したくてウズウズしていたのだが、途中で出てくる事も出来なかった。 棋院を出て早速電話をしようと思ったら、携帯が鳴った。佐為かな? と思い画面を見れば社からだった。 「もしもし、何だよ社」 「…………どつくぞ進藤ぉ!!」 大音量の社の声に、思わず携帯を耳から離すヒカル。その間も社の声が携帯から聞こえてくる。 「人が折角、祝いの言葉の一つも言うたろぅおもて電話しとるっちゅーのに、ええ度胸やんけ」 血管がブチッと千切れた音が、聞こえたような気がした社。 「あ、あ、いや、あ~~あははははっ~。悪いゴメン!」 佐為に電話しようと思ったところに掛かってきたものだから、ついぞんざいな口調で出てしまった。拙かったなぁ。 「はぁ~、まあええわ。それよか、今日はええ対局やったな。天元取れよ」 「ありがとうって、まだ挑戦手合い始まってないって。でも、頑張るぜ。来月は名人戦の準決勝に勝てばリーグ入り出来るからな、お互い頑張ろうぜ」 「ああ、そやな。今度こそはリーグ入りしたるで。じゃな、今度は韓国で会おうや」 「おお、じゃぁな。おやすみぃー」 さて、佐為に連絡っと。 「もしもし、佐為。勝ったよ俺。対局見た?」 「はい、見ましたよ。よく頑張りましたね。おめでとうヒカル」 「えへへ、ありがとう。佐為はまだ仕事中なの?」 「ええ、今日は遅くなりそうです」 「そっか。大変だな。無理しないでくれよ」 「ええ、ありがとうございます。ヒカル、今夜はゆっくり休んでくださいね」 「うん、わかった。じゃ、おやすみ佐為」 「おやすみなさい」 佐為に誉めて貰えるのが一番嬉しいな。今日も会えると嬉しかったのだけど、仕事も忙しいみたいだし、しょうがないよな。帰りがけに、塔矢達が食事に行くというので誘われたのだが、今夜は何となく一人になりたくて、丁寧にお断りをしてきた。 明後日からは、箱根のホテルで囲碁祭りがあり、ヒカルはそれに参加することになっていた。参加者は若い女性から壮年のオッサンまで様々だ。二泊三日で指導碁一局付き、プロの公開対局と温泉と食事を堪能して、囲碁を楽しみましょう。みたいな催しだ。 プロ棋士の参加はヒカルの他に、芹澤棋聖と白川道夫八段・塔矢アキラ八段に女流の石川沙織三段の5名。ヒカルと塔矢は、どう見ても女性客を増やす為に棋院が考えたとしか思えないのだが、これも仕事なのでしょーがない。 「じゃ、何か弁当でも買って帰ろうっと」 明日は午前中はゆっくりしていられるからな。足取りも軽快にスーパーへと向かう。