想恋歌
第二章 燦めく才能 第十話 2013.12.18
暦は4月になり、ヒカルは31期天元戦本戦と、60期本因坊リーグ戦順調に勝ち上がっていた。 30期棋聖戦のリーグ戦は5月から、53期王座戦の本戦は4月から始まる。 31期名人戦は予選Bに、44期十段戦は予選Aに、30期碁聖戦は本戦に進んだ。 塔矢は、名人リーグ戦に入り4連勝していた。本因坊はあれから1敗してヒカルと同じ5勝1敗。 今期の十段戦は本戦で敗退。44期は本戦にシードされた。 昨日は塔矢から電話があり、いい物件見つけたから近いうちに見に行かないか、と言ってきたので、棋院で待ち合わせて行く事にした。 当日、午前中に指導碁の仕事を終え、1時ごろ棋院に到着したら、塔矢はすでに来ていた。 おまけに、伊角さんと和谷と門脇さんに本田さん、奈瀬まで揃っていた。ちなみに和谷は、越智も誘ったが「バカバカしい!」 の一言で終わった。 ヒカルは唖然として眺めまわし「なんで、みんなで揃ってるんだ?」 「気にするな進藤、ちょうど偶然に遇っただけだよ。ハハハッ」 和谷が、取ってつけたような笑い方をしている。 「ハア? 偶然?」 塔矢はバツが悪そうに、下を向いて笑っている。 「さぁーて、進藤も来たから見に行くか」 「待って和谷。俺、腹減った。昼ご飯まだ食べてない」 「我慢しろよ進藤」 「ウッ、いやだぁー! 死ぬぅー」 「なんだ、しょうがないなぁ。ほんじゃみんな昼ごはん食べに行くか」 「うん、賛成、賛成」 それぞれが挙手をして、ぞろぞろ動き出す。 「なんでぇー、みんなだって食事してないんじゃないか」 お決まりのファミレスに直行して、賑やかに注文を入れる。無駄に食べる成長期の若者ばかりなので、その量の半端じゃない事。瞬く間に胃袋に収めていく。 食事も一段落し、和谷が「塔矢資料持ってるんだろ? 出せよ」 塔矢に手のひらを向けて、ヒラヒラさせている。 テーブルの上に何枚かの資料が並べられ、皆で真剣に見だす。 「ねぇ、ここいいんじゃない」 奈瀬が見せた資料を覗き込み「ゲッ! 13万円?」 ヒカルが仰け反る。 「こっちはどうだ? 2LDKあるぞ」 和谷が出した資料を見て「ゲッ! 16万!!」 ヒカルが叫ぶ。 「僕は、これなんかがいいと思うんですが……」 塔矢が出した資料を見て「ゲゲッ! 18万!!」 ヒカルの悲鳴が、店内に木霊する。 「うるさいなぁー進藤。少しは静かにしてろよ」 本田さんに言われ、ヒカルが撃沈する。 「あんた、塔矢の次にガッポリ稼いでるんだから、このぐらいどうって事ないでしょ」 それはそうだけど、そんな高いところじゃ無くていいって言ったら、 「進藤、ここは東京なのよ。 どっかの田舎と間違えてるじゃないの?」 奈瀬のきっつーい言葉が嫌味に聞こえるような気がした。 「なんだよぉー、俺が住む家なんだぞ」 「だから、一生懸命選んでるんじゃないか。ちょっと黙ってろ。塔矢は決めたのか?」 と、伊角さんに問われ 「ええ、僕は駅の反対側です。2LDKで16万です」 「ハッ? 何で2LDKもいるんだよ塔矢」 「誰かが来た時、泊まる部屋がないと困るじゃないか」 「そう? なのか」 「そうだぞ、進藤も2LDKにしろ。2LDKの意味解ってるか? 俺達が泊まれないからな」 「どういう意味だよ。そんじゃ、安くて日当たりのいい所。 駅から近い所」 「そんな条件のいい所が安い訳ないでしょ。 全くアンタって何にも知らないんだから」 奈瀬の痛烈な嫌味に、最早言葉も無く「もう~何処でもいいよぉ」 「じゃ、物件見に行った方が良くないか?」 資料だけ見てても解らないぜと言う 門脇さんの言葉に、それもそうだ。じゃ、みんな行くぞぉーと、またゾロゾロと連れ立って歩く。 「何でこうなるんだ塔矢」 小声で塔矢に聞くと、「さぁ?」 と首を傾げられ、ヒカルはジトッ~と塔矢をねめつけた。 結局、皆でワイワイしながら決めた物件は、駅から15分、棋院からも15分、2LDKの小奇麗なタウンハウスだった。 3階の角部屋が空いていて、日当たりも申し分なく、内装も綺麗で奈瀬が凄ーく気にいったので、其処に決まった。 但し、ヒカルは両親にまだ話していなかったので、決定は後日に持ち越された。家賃は15万円也~。最後までヒカルの意思は無視されたのだった。 その1周間程前に、和谷は棋院で偶然塔矢に出会った。 「よう、塔矢、棋院で仕事か?」 「ああ~和谷君、出版部に用があったんだ。和谷君は?」 「俺は、指導碁が一件ある」 「そうか。じゃまた」 歩き出した塔矢を和谷が呼び止める。 「塔矢、この後用事あるか?」 「いや無いよ」 「ほんじゃ、ちょっと話出来ないか?」 「話? いいけど……」 「じゃ、近くのスタバにでも行こうぜ」 塔矢は首を捻りながら、一緒に歩く。 『話って何だろう? 和谷君が僕に声掛けるだけでも珍しいのに』 「和谷君、指導碁は何時からなの?」 「3時だ。後一時間半あるぜ」 店に入り飲み物を注文し席に着き、塔矢は和谷の顔をじっと見ていたが、和谷は中々口を開かなかった。 痺れを切らした塔矢が「和谷君、話って何?」 そう聞くと、ようようというかやっとというか、口を開いた。 「うん。あのな塔矢、怒らないで聞けよ。お前、進藤の事どう思ってるんだ」 「進藤のこと? どうって? 進藤は友達だけど。和谷君どういう意味?」 「その……それだけか? 友達だけなんだな」 そう問われた塔矢は、鋭い眼差しで和谷の顔を見据えていた。 『お前、その顔チョー怖いぞ』 和谷はそう思いながらも、視線を外さずにいた。 「和谷君、どういう意図があって僕にそんな質問してるんだ。和谷君の言い方だと、僕が友達以上の感情を持ってるみたいに聞こえるけど、そう訊いてるの? 僕が進藤に恋心でも抱いてると思ってるの?」 「違うのか?」 「……和谷。和谷はどうなのさ」 「ばっ、バカヤロウ。俺は友達に決まってるだろ。進藤は大事な親友だ」 塔矢はフッと笑んで「和谷、僕も一緒だけど。和谷にとって進藤が大事な親友なように、僕にとっても、進藤は大事な親友で、良きライバルだよ。これから先もずっとね。和谷が心配するようなことは無いよ」 「そ、そっか……そうなのか。悪い、ごめん。変な事聞いてごめん」 「いや、いいよ。悪気があったとは思ってないから。 だけど何でそんな事思ったのか、教えてくれないか? 僕の態度がそんな風に見えたの?」 「実は、そうなんだ。まさかなとは思ったんだけど、永夏の事もあって、ちょっと疑心暗鬼になってたかも。それと、お前が進藤の住まいも探すって言っただろ、それでつい」 「ふーん、そうなのか。僕はさ、和谷も知ってると思うけど、小さい頃から碁ばっかりやってきただろ? 周りに居る人は大人ばかりだった。普通の子供達が遊ぶような遊びも知らないし、学校が終わってからも友達と遊ぶ事も無い。それよりも、時間があれば碁を打ってる生活だったんだ。だから当然親しい友達なんて一人も居なかったし、学校でも話が合わないから、浮いた存在だったしね。進藤は初めて出来た友達なんだ。何の躊躇もなく僕と対等に付き合ってくれ、遠慮のない言葉で言いたい事が言い合える。進藤は大切な友達になったんだ。僕、思い込んだら一直線みたいな所あるし、それに進藤に執着してるのは周知の事実だから、そんな振る舞いが、和谷にそう思わせたのかも知れないね」 「そうか、お前もそれなりに苦い思い出があるんだな。俺なんかからしたら、才能があって頭良くて、家は金持ちで何不自由なく育った、天才のお坊っちゃんにしか見えないけどな」 「そうだね。そういう風に見てる人が大半だろうね。囲碁の世界に入っても、遠巻きに見られてることもしばしばあるし。現に和谷だって、僕に声かけることなんて無かっただろ? だけど和谷、僕は天才じゃないよ」 「えっ? 天才だろお前」 「違うよ天才じゃない。僕は強いて言うなら秀才の方だと思う。僕の生まれた環境、育った環境、いつも周りにいる囲碁棋士の人達、そういう環境の中で小さい時から碁を打ってきた。そして、僕は常に努力して努力して勉強してきた。勿論元々持ってる素質はあったかもしれないけどね。 ある意味、環境が僕を作ってきたと言える。天才と言うなら進藤の方だと思う。 碁を始めて2年やそこらでプロ試験に受かる人なんてめったに居ないよ。倉田さんもそうだけど、倉田さんでさえ、始めてまもなく師匠に付いてる。進藤は師匠も居ないって言ってるし。 それに彼は、一度見た棋譜は瞬時に覚えてしまうんだ。で、それを忘れない決して。僕達プロだって、印象に残ってる対局とか、今打ったばかりの対局だったらすんなり出てくるけど、すべてを覚えてることなんて無理だろ? だから、PCで棋譜の整理をしたりしてるけど、進藤はそれをしない。自分の頭の中だけに書庫があって、其処からファイルを取り出すことが出来る、彼は稀有な存在だよ」 「そうだな確かに。いつの間にか進藤に置いて行かれてしまってるもんな」 「そんなに自分を卑下することは無いと思うよ。韓国に行ってかなり棋力上がってる。元々持ってる力が無ければ上がりようも無いんだから、自信持っていいんじゃないか?」 「お前にそんな風に言われるなんてな……何か複雑な気分だぜ。でもありがとな塔矢」 二人とも顔を見合わせ、恥ずかしそうに笑っていた。 和谷は今まで毛嫌いしていた塔矢が、話してみれば案外親しめる奴なんだな、などと思っていた。和谷も結構単純なのである。 「俺、どうしても進藤に師匠が居ないってのは、ちょっと信じられないんだよな。お前はどう思う?」 「うん、僕も其の点は同感。何のきっかけも無いのに、突然囲碁を始めるっておかしいと思う。囲碁を始めるだけの何かがあったはずなんだよ。だけど、和谷、この話は後日に持ち越さないか? それについては、パスルのピースがバラバラで、上手く収まらないって感じがするんだ」 「解った。それで、お前と進藤の住む家見つかったのか?」 「うん、大体見当つけてる物件が数件あるよ。今度進藤に連絡してみるよ」 「俺も一緒に行っていいか?」 「勿論いいよ」 この時、和谷と塔矢の密会? を、偶然目撃した人物がいた。 「へぇー、和谷と塔矢だ。珍しい組み合わせだなぁ。一体何話してるんだ? よし、ここはいっちょ和谷を締め上げるか。フフフ……」 「それより、永夏って進藤のことどう思ってるんだ。あからさまに態度に表してるけど、本気なのか?」 「僕は本気じゃないと思ってるよ。秀英は何か言ってた?」 「うん、秀英も単なる遊び心だと言ってたけどな」 「僕もそう思うよ。それに、永夏が本気でも多分勝てないよ、あの人に」 「はっ? どういう事だ。あの人って誰だ?」 「進藤はね、多分心に想う人がいるんだと思う。僕が見るに、本人はその感情に気づいていないと思うけど、慕ってはいる。で、その相手も同じような感情を持ってると思うな」 「そ、そんな相手いたのか進藤に。何処の女性なんだ。あの幼馴染の子か?」 「違うよ、幼馴染の子じゃないし、ついでに言うなら女性じゃないよ」 ペキン! と固まった和谷が漸く言葉を発する「男……なのか?」 「そうだよ」 呆気らかんと塔矢は言った。 「そうだよって、塔矢」 「和谷は、同性愛に否定的なの?」 「いや、否定的って……だってそんな事改めて考えた事ないぞ。でも、ホモなんて普通の関係じゃないし、お前はどうなんだ」 「僕は、別に構わないと思ってるよ。 人を好きになるのに異性も同性も関係ないと思ってるから。それと和谷”ホモ” と言う言い方は、偏見差別用語だよ。学術的用語としての”ホモセクシュアル" という使い方は許されるけど。今は"ゲイ”と言ったほうがいいよ」 「そうなのか? 知らなかった。あのよ、俺よく解かんねぇだけど、その”ホモセクシュアル” と”ゲイ” ってどう違うんだ?」 「うん、僕もそれ程詳しくは無いけど"ホモセクシュアル” というのは、同性愛者って言葉だから、男性・女性両方を表すんだよ。で”ゲイ” も同じく同性愛者のことで、男性だけでなく女性も当てはまるって聞いたことがある。でも“ホモ” という呼び方は、異性愛者(ヘテロセクシュアル) が長年にわたり使用してきた、差別・侮蔑・好奇のニュアンスが色濃いのに対して”ゲイ” は同性愛を肯定的に捉えるニュアンスがあるんだって。だから同性愛に対するポジティブな認識の下に使われることが多いらしいよ。日本では”ゲイ” と言うと、男性同性愛に使われる事が多いよね。女性同士だと”レズ" とか”ビアン" って言うらしい」 「……詳しいじゃねえかよ」 「和谷は普通って何だと思う? 皆と同じ事をしてれば普通で、其処に当てはまらない人は普通じゃないって思ってる? でも、人それぞれの普通は違っていて当たり前だし、常識だってそうだろ。ある人の常識はある人にとっては非常識かもしれない。多くの人は今の幸せである現状を大事にしたがる。退廃することは勿論嫌がる。 それと同じで、人の考え方や受け取り方、取り組み方は日々変化と変質を繰り返す。それを柔軟な心で受け入れる事を良しとしない人達が多い。自分と変わったことをする人や、変わった考え方をする人を、普通じゃない常識が無いの一言で片付けようとする。でも考えてもみてよ。子供の時に持ってた夢や気持ち考え方だって、大人になっていけば変わっていくものだろ? なのに大人になると、変わっていくことを恐れる。だから僕は、異性愛者(ヘテロセクシュアル) は普通で、同性愛者(ホモセクシュアル) は普通じゃ無いと言う考え方はしたくないんだ。一つの形として捉えるべきだと思う」 「お前、そんな小難しいこと、よくペラペラと出てくるな。 じゃ何か、人は変わらなきゃいけないって言うのか?」 「違うよ。変わることを是と言ってる訳じゃないよ。そういう事もあるという事を、受け入れる気持ちがあればいい、という事が言いたいんだよ」 塔矢の言うことは、解らない訳じゃないが、しかしなぁ。自分の身近でそんな事に遭遇するなんて思ってもいなかったしな。それとも、只俺が知らないだけで、身の周りにはよくあることなんだろうか? 「和谷、もしもだけど、もし進藤がそういう関係になったら、凄く困難な道だと思うし、中傷や罵りも受けるかもしれない。でも僕は、どれだけの事が出来るか分からないけど、進藤の力になってやりたいし、守ってあげたいと思ってる。和谷も考えてくれると嬉しい」 和谷は暫く無言で考え込んでいたが、「解った。今すぐ結論は出せないけど、考えてみる。それでいいか?」 「うん、ありがとう」 「塔矢は進藤のその相手を知っているのか?」 「多分……あの人に間違いない。名前聞いたら驚くと思うよ」 「何、俺の知ってる人?」 「いや、直接には知らないと思うよ。 驚くの意味は名前もだけど、その他色々あるんだ。其のうち会うこともあるんじゃないかな?」 「なんか、解ったような解らないような言い方だな」 「よっしゃ、そろそろ指導碁の時間だから俺行くわ。今日はお前と話せてよかったよ。ありがとな」 「僕こそ、嬉しかったよ。行く日が決まったら連絡入れるよ」 「ああ、解った。じゃーな」 和谷が行ってからも、塔矢は暫く座っていた。そしてポツリと呟いた「和谷って、やっぱり直感は鋭いんだな。でも、直観はちょっと弱いか。ここを克服すれば、読みに深みが出てくるよな」 ふぅーと息を吐いて、碁会所に行くべく店を後にした。 2時間半後、指導碁を終えた和谷が棋院を出ようとしたら、「和谷くーん」 と呼び止める声が聞こえた。 振り向くと、門脇さんと伊角さんが立っていた。二人とも妙に嬉しそうな顔をしている。 「門脇さん、伊角さん、どしたんですか?」 門脇がニコニコと和谷の肩に手を掛け「塔矢君と密会してたでしょ。何の話してたのかなぁ?」 「密会って……偵察してたんですか?」 「人聞きの悪い、偶然目撃したんだよ。で、何を話してたの? 正直に答えなさい」 「いやぁー、エヘヘ~。恋しちゃって、それで塔矢にッ……グググっウウっ~く・ぐるしぃ門脇さん」 門脇にヘッドロックされて「和谷君、真面目に答えましょうね」 「わかった。分かりましたから離してぇー! ゴメンなさい」 「ハァ、苦しかった。塔矢が自分と進藤の住む家をピックアップして来たから、今度一緒に見に行く約束してたんですよ。後は他愛無い世間話っす」 「なに!? そんな面白いこと、俺たちも付き合うぜ、なぁ伊角君」 「そうですね。皆にも声掛けておきましょか門脇さん?」 「うん、そうしろよ。日にち決まったら教えろよ。早めにだぞ和谷君」 「……ハイ、ワカリマシタ」 進藤・塔矢許せ……。