想恋歌
第一章 ふたたびを貴方と 第三話 2013.11.4
あくる朝チェックアウトの為に、フロントに寄った所「あの、藤原佐為さんはいらっしゃいますか?」 ヒカルがフロントに尋ねた。 「オーナーでございますか? どのようなご用件でございますか?」 「……あの」 ヒカルが言い淀んでいると、塔矢がすかさず助け船を出した。 「オーナーに格別のご配慮を頂いたので、お会いして一言お礼を申し上げたいのです」 「さようでございましたか。オーナーは本日より中国に出張がございまして、そちらの方へすでに出立したようでございます。申し訳ございません。ご伝言はこちらから必ずお伝えさせて頂きます」 「そうですか。では宜しくお願い致します」 「はい、かしこまりました。ご利用ありがとうございました」 「塔矢、ありがとな」 「いいよ。気にしないで。さて、明日からまたいつもの日常が始まるよ。社、帰るんだろ? 駅まで送っていくよ」 「いらんて、一人で大丈夫や。進藤じゃないんやから」 「どういう意味だよ社!」 ヒカルが盛大に膨れっ面をする。 それを見て、塔矢も社も微笑んでいた。二人が自分に気を使ってるのが分かって、気恥ずかしかったけど嬉しかった。 「ほんならもう行くで。塔矢も進藤も頑張りーや」 「ああ、社もね」 「うん、社気をつけて。またな」 社と別れてから塔矢が「会えなくて残念だったね、進藤」 「うん、そだな。もう会うこともないだろうな。住む世界が違うもんな」 しかし、塔矢はまた必ず会うと思っていた。きっとあの人から進藤に会いに来る。僕のこういう直観は外れた事はない。 「あの人は進藤の知ってる人に似ているの?」 「うん、そっくりなんだ」 「それは誰か聞いてもいい? ネットの”sai” なの?」 「ううん、ネットの”sai” じゃない。ごめん塔矢、これ以上は言えない」 「いや、いいんだ。僕もごめんね。それより、永夏 と秀英 に連絡取らなきゃ」 「あーすっかり忘れてた。やべぇ、怒ってるかな?」 急いでヒカルが秀英に電話すると、案の定不機嫌な声の秀英が出た。 「なんで、ちっとも連絡寄越さないのさ進藤」 「悪い秀英。ゴメンゴメン」 「今何処に居るの?」 「塔矢とロビーにいるよ。永夏はどうした?」 「ここにいるよ。今からロビーに下りてくよ」 程なく永夏と秀英が下りてきた。 来るなり永夏がヒカルに抱きつく。 「My Honey、俺のことを忘れたのかと思ったよ」 「誰がマイハニーだ、誰が! 人前で抱きつくな永夏! コラ離せってぇ」 しかし、体格差で負けるヒカルはジタバタするだけで、がっちり抱きついている腕から逃れられない。 秀英が呆れながら溜息をつく。 「碁会所に行くだろ? 社は? 帰ったのか」 「うん、社は帰ったよ。学校があるからね。永夏と秀英は何時まで日本に居るの?」 「明日の昼の便で帰るよ」 それを聞いたヒカルが、「んじゃ、今日しか打てないじゃん。時間ないからさっさと行こうぜ。俊勇 はどうした? 行けるなら一緒に行こうぜ。こら永夏、離せっつーの」 「ハァ、仕方ない」 ようやく永夏の腕から解放されてやれやれだ。 「待って、今俊勇に電話してみる」 秀英が電話をかけると、喜び勇んで俊勇がやって来た。 「【チャル プッタクハムニダ】」 韓国語で挨拶されたので、ヒカルは全く解らない。塔矢が「【イッチョギヤマルロ チャル】」 と返す。 「何て言ったんだよぉー。俺だけ韓国語解らないなんて、お前らずるいぞ」 「ずるいって言われても進藤、僕達は母国語だよ」 秀英が呆れ混じりに言う。 「あっ! そうだった……ね。アハハハッ」 まさか進藤ったら、僕達が韓国人って事を忘れていたなんて言うんじゃないだろうな? いや、進藤ならありえるかも。などと思いながら塔矢の顔を見ると、塔矢も呆れたような顔をして進藤を見ていた。 その塔矢が「俊勇が(宜しくお願いします) って言ったから、僕も(こちらこそ宜しく) って返事したんだよ」 「そっかぁ~。俊勇日本語覚えろな」 なっ! と言いながら俊勇の肩に手をかけ、日本語なっ! と言っている。 俊勇は秀英を見て意味を聞く。そして驚いた事に「はい、分かりました」 日本語で返事をした。 これには皆も驚いた。さすが進藤ヒカルの魔力は侮れない。 碁会所では食事休憩以外は、打ちまくり検討して楽しい時間はアッと言う間に過ぎ去った。夕刻になり、食事を取る為に碁会所を後にする。 すると永夏が「ヒカル、碁の勉強に韓国に来ないか?」 と聞いた。 「えっ、韓国に?」 「それがいいよ、進藤。韓国の棋士達と打つのは勉強になると思うよ。泊まるのは僕の家に泊まればいいし」 秀英が提案すると、永夏がすかさず「ヒカルは俺の家に泊める」 と、のたまわった。 「ダメ。永夏の家になんか危なくって、進藤は泊まらせられないよ」 「ス・ヨ・ン~」 永夏の恨みのこもった声がする。 「僕もそう思う。泊まるなら秀英の家かホテルにすべきだ」 塔矢まで口を挟み、永夏は憮然とした表情浮かべている。 「何で俺を抜いて、お前らだけで話を進めてんだよ。まだ韓国行くなんて言ってないじゃないかぁ」 「そうだな。そういえば、明日は見送りに行けない。僕たち取材が入ってるから」 「ああ、別に構わん。気にしないでくれ」 親しい仲間たちと一緒で食事を取りながら、ヒカルはとても楽しかった。夜も更けて、永夏と秀英をホテルに送って、また近いうちに会おうと言って別れた。 「じゃ、塔矢またな。明日は棋院に行けばいいんだろ?」 「そうだよ。じゃ進藤おやすみ」 「おう、塔矢もな。おやすみぃ」 二人はそれぞれ家路につく。 その後月日は流れ、ヒカルは29期棋聖戦リーグ戦でかなりいい成績を残していた。 30期名人戦は、予選Aで敗退した。来期はまた予選Cからで、9月に始まる。 60期本因坊戦は最終予選に駒を進めた。52期王座戦は本戦に出ている。が、42期の十段戦は本戦で敗退。 30期天元戦は準決勝で敗退だったので、31期は本戦からシードに入った。これは12月から翌年9月まで本戦を戦う。 竜星戦の決勝トーナメントも、残すところ塔矢とヒカルの決勝になっていた。 和谷は2回戦まで上がってきたが、塔矢に完敗した。 その間ヒカルは時間が空いたりすると、佐為の事を思い返したりしていた。 考えたって仕方ない事なのは解っているけれど……。 ダメダメ、考えてもどうにもならない事は考えないこと。そう自分に言い聞かせ過ごしていた。 北斗杯で日本が優勝してから、何かとマスコミの注目を浴びるようになってしまった。 それは、塔矢や社も同じで、北斗杯トリオ等と呼ばれていた。 さらにはマスコミ関連の仕事も増えて、三人とも『忙し過ぎるぅー!』 の悲鳴があがる。 棋院は、「これも囲碁普及の為なんだから、ね! 若いんだから大丈夫だって。ハハハ!」 とかなんとか言いながら、仕事をバンバン入れる。囲碁普及の為と言われると、仕方無いと思ってしまうのである。 ヒカルの誕生日も過ぎた9月30日、竜星戦の決勝当日になった。 《竜星戦》 は16名によるトーナメント戦で、一手30秒の早碁である。おまけにTV対局。 自分も塔矢も早碁は得意だけど、勝負勘とひらめきが要求される。 塔矢が黒番・進藤白番で対局が始まった。 お互いに手の内を知り尽くした相手であるだけに、やりやすさとやりにくさが混在する。 二人とも果敢に攻めに入っていく。 攻めと守りが交互に襲ってくるが、ヒカルの白が塔矢の黒を断ち切る一手を放つ。 塔矢の手が一瞬止まるが、他の活路を補強に架かる。が、勝敗はヒカルの中押し勝ちとなった。 「ありません」 塔矢が頭を下げる。 それを見てヒカルも「ありがとうございました」 と頭を下げる。 「進藤、おめでとう」 「うん、ありがとう塔矢」 小さいながらも初めてヒカルが優勝した対局だった。優勝賞金は600万円だ。その中から、父と母にプレゼントを買って、残りは母に預けた。当初、母は吃驚していた。この一回でへたしたらサラリーマンの年収ぐらいあるんじゃないの? 今でも、ヒカルの母は囲碁の世界に無知のままであった。 ヒカルは60期本因坊リーグ入りと、52期王座戦の挑戦手合いも進出が決まった。 塔矢も29棋聖戦・60期本因坊リーグ入りと30期名人戦最終予選、43期十段戦本戦に進んでいた。 29期碁聖戦は挑戦手合いで負けとなった。 10月に入り、韓国棋院から正式に交換留学生の話がきた。韓国側は、南 俊勇と指定してきた。 棋院では協議を重ねていたが、なかなか決まらなかった。 「塔矢七段と進藤七段はちょっと無理ですね。棋聖戦のリーグ戦が残ってますし、本因坊リーグありますし。進藤君は王座戦の挑戦手合いが今月から始まるんですよ」 「棋戦の時だけ日本に帰ってくれば出来ない事はないぞ」 「しかし、棋戦の度に行ったり来たりでは、いくら若いっていっても大変ですよ」 「そうですよ。落ち着いて対局に臨めないですよ。進藤七段は挑戦手合いは初めてなんですし、僕も今回は、二人は止したほうがいいと思いますよ」 「うーん、じゃ誰がいいかなぁ。和谷君とか社君はどうだ。この二人にも今後さらなる成長をしてもらいたいからな」 「いいんじゃないですか。じゃ和谷君から声かけてみます。和谷君の師匠は森下九段でしたね。先に森下先生に了解とっておきます」 和谷は棋院から正式な交換留学生の話を持ちかけられて、目を白黒させていた。 「俺? 俺なんですか? なんでまた俺なんですか」 「和谷君、イヤかい?」 「いえ、イヤって訳じゃないです」 「交通費と宿泊費は棋院で持つから大丈夫だよ。後は、食事代とお小遣いぐらいかな自分持ちは。森下先生には了解貰ってるから」 「はあ、それは大丈夫なんですが、ほんとに俺でいいんですか? 塔矢とか進藤じゃなくて」 「あの二人は棋戦が立て込んでて無理なんだよ」 「あっ! それで俺ってことですか?」 「いやいや、棋院は君に期待してるってことだよ。僕も、和谷君はもっと伸びていける素質を持ってると思ってるよ。だからね、頑張ってきて欲しいんだ」 「……分かりました。韓国行かせてもらいます」 「良かった。期間は11月~12月の2ヶ月間。宿泊場所は韓国棋院で手配してくれる。それから通訳の人もいるし、高永夏君と洪秀英君も日本語話せるし、他にも日本語出来る人は結構いるから心配ないよ。早速パスポートの手続きしてね。後、解らない事あったら、聞きにきてね」 「はい、ありがとうございます。俺頑張ってきます」 「うん、和谷君。君なら大丈夫だよ」 事務員は笑顔で返事した。 和谷は棋院を出ながら伊角に電話をかけた。 「伊角さん、俺」 「ああ、和谷。どした?」 「俺、来月から交換留学生で韓国に行く事になった」 「ほんとか? 良かったじゃないか和谷。韓国はレベル高いから、いい勉強になると思うよ。何時までだ?」 「12月までの2ヶ月間。伊角さん俺頑張るよ。進藤に少しでも追いつけるように」 「そうだな。俺も負けないで頑張るよ。帰ってくるの待ってるからな和谷」 「うん、ありがと伊角さん」 今度は進藤に電話する 「進藤、俺」 「和谷ぁ、どっしたんだぁ?」 「俺よ、来月から2ヶ月間、交換留学生で韓国に行く事になった」 「えっマジかよ! スッゲェーじゃん和谷。よかったなぁー和谷、頑張れよ」 「オォー頑張ってくる。待ってろよ進藤」 「うん、永夏と秀英に連絡しておいてやるよ。今度秀英の電話番号教えるな」 「ああ、わかった。じゃな」 『大丈夫だ。俺頑張れる、よし!』 ヒカルは和谷からの電話の後秀英に連絡して、和谷が交換留学生としていく事になったと伝えた。 「そうなんだ。【永夏ぁ~進藤じゃなくて和谷が来るんだってぇ】」 秀英が叫んでいる。 「永夏も一緒にいるのか?」 「うん、永夏の家にいるんだ。【ハッ! なんだって】 進藤ちょっと待ってて。【何言ってんだよ、そんな事出来る訳ないだろ】」 永夏と秀英が、ゴニョゴニョ言ってる声が聴こえてくる。 「おいスヨン!」 「ゴメン進藤」 「永夏が何言ってんだよ」 「ヒカルじゃないなら来なくていいって。来ても面倒なんかみない。とかなんとか言ってる」 「永夏に変われ!」 「うん、待って。【永夏、進藤が電話に出てって。怒ってるよぉ】」 なんだか心なしか、秀英の声が楽しそうに聴こえる。 「ハニー、元気か?」 「ハニーじゃねぇ。やい永夏! 和谷の面倒見なかったら、日本に来ても一生会わないぞ」 「ヒカルぅ~」 「どっちなんだ。返事しろ永夏!」 「クッ、しょうがない。ヒカルに会え無くなるのは困るから我慢してやる」 「よし。永夏好きだぜ」 「ヒカル! も一回言って!」 「ダーメ。秀英に変わってくれ」 「もしもし、上手くいったみたいだねぇ」 「おう、で、秀英の電話番号和谷に教えてもいいか?」 「うん、いいよ。来る日が決まったら早めに教えてくれって言っといて。空港に迎えに行くから」 「わかった。秀英宜しく頼むな。ジュンヨンはばっちり面倒みるから(塔矢が)心配するな」 「うん、わかった。じゃーまたね」 秀英に任せておけば大丈夫だ。和谷には、是が非でも頑張ってきて欲しい。みんなと一緒に、上を目指して歩いて行きたいもんな。何だか、そう考えたら嬉しくなって、スキップでもしたい気分になってくる。 明日からは、囲碁ゼミナールで岐阜の水明館に行く事になっている。 3年前か、いやもう3年半前になるのか……。佐為と最後に行った場所だった。